河合隼雄責任編集「imago 総特集：夢」（青土社 1991年）
引き続き雑誌の夢特集。対談一つと29篇の論文からなり、読むのに結構時間がかかりました。半分以上が精神医学の立場からの夢についての論文が中心で、しかも臨床心理学者が多く、責任編集者の河合隼雄門下生が集まって文集を編んだといった印象がなきにしもあらず。彼らも自ら告白しているように、実際に患者を診ることは、民間呪術師とか宗教家に近いものがあり、彼らが臨床の経験を踏まえて書いているものは、普通の学者が書く論文と異なっています。
そのなかで、「イルマの夢」というフロイトのテキストを、フロイト派？、エリクソン派、ユング派、ラカン派の4人の精神医学者、臨床心理学者がそれぞれの立場から独自の解釈をした企画があり、まったく違うことを書いているのが並んでいるのが、面白い試みと思いました。精神医学以外の論文では、脳神経化学、宗教、神話、文化人類学、文学、美術、経済など多岐にわたっていました。
なかで、出色は、やはり河合隼雄と中沢新一の対談「汎神論風夢理論のこね方」で、チベット密教を体験して帰ってきたばかりの中沢新一が、現地の修行者たちが、呼吸法と観想法を使って夢を消したり、二人で向き合って相手の夢のなかに入ったり、ヨーガで神と一体となったりする訓練のやり方を説明し、河合隼雄がそれを聞きながらコメントするという形で進行。お二人のいい加減さ（悪い意味ではなく、知的な態度のあり方）に共通するものがあって、好ましい雰囲気が感じられました。
話題の中心となっているのは、一神教についてで、中沢は、人間はもともと汎神論的で、そこから一神教と多神教に分かれたと言い、一神教を完全に否定はせず、汎神論的な一神教を認めているのに対し、河合は、一神教的な流れのなかで自然科学が生れ、直線的な思考法のもとに進歩の概念が生まれたと、一神教に対してかなり批判的な物言いをしていました。が、二人に共通していたのは、知性一辺倒の考え方や原理主義的な態度への反発で、「頭の悪い人たちが見ている世界の深さ」とか、「分からないものに意味がある」、「道草こそ道をいちばんよく知ることができる」といった発言がポンポンと飛び出していました。とくに、「資本主義経済のお金の流れはどうしようもないもので、今の世界は、制御不能な悪夢となりつつあるように見える」という中沢の言葉が、今日の日本の金融政策を予言しているかのようで印象的でした。
もう一つは、先日読んだ『夢に迷う脳』の著者アラン・ホブソンの説を紹介したエドワード・ドルニックの「夢って（ホントは）なに？」。ホブソンの夢理論の土台となったアズリンスキーの急速眼球運動睡眠（REM睡眠）の発見に至る顛末が、冒頭に紹介されていましたが、これがとても面白い。ほか、�．侫蹈ぅ箸寮�欲説に対して、幼児の夢を説明できるのかと批判しながら、一方で、フロイトが、それまで占い師に独占されていた夢を真面目な研究テーマに変えたことに対し、敬意を表明していること、��1960年代以降、精神分析学が凋落の一途をたどっており、鬱や分裂病をはじめとする精神病の解明は神経生物学の分野に移りつつあること、�Ｌ瓦浪燭里燭瓩砲眤減澆靴討�らず、ただ単に生じるだけで、内部から派生してくる信号の奔流から懸命に物語を作ろうとしているだけ、などが印象的。
そのほか、得るところのあった論文は、次の5篇。
山折哲雄「夢と空」
インドで、6世紀から12世紀にわたって書かれた比喩物語の集大成である「ヨーガヴァーシシュタ」の中の面白い話を紹介している。ある王が魔術師から夢を見させられる。馬に乗って森のなかで腹をすかしていると、食べ物を持った少女と出会い、「私は不可触賤民だが、結婚すれば食べ物をあげる」と言われて結婚する。6年が経ち、二人の息子と二人の娘を授かったが、飢餓に見舞われ、森が火事となって逃げのびた先で、いよいよ困窮し、自分の体を食糧として息子らに差し出そうと、火を点けた薪の上に飛びかかったら、目が覚めた。翌日、王が記憶をもとに森の中に行くと、夢に見た景色がそのまま実在したという話。
多田智満子「手のまぼろし―『旧約聖書』と『保元物語』のエピソードをめぐって」
大饗宴の最中に手が現われて壁に解読不能の文字を書くという旧約ダニエル書のベルシャザル王の見た幻とその解読、美しい手が差し出され何度も手のひらを返すという『保元物語』の鳥羽法皇の夢とその解読とを比較し、「断言命令的な唯一神教のかわいた風土と、宗教も倫理もみな美的雰囲気のうちに溶解しがちな、水蒸気過多のわが多神教的風土の対照」を指摘したのち、偶然の一致か、民族と時代を超えて何か通底するものがあるのかと問うている。→あるいは伝播の可能性は？
高石恭子「癒しの夢―正しい夢へのインキュベーション」
以前『夢の王国』で読んだ治癒神アスクレピオスを主神とする神殿治療について詳述されていた。この古代治療が、同じく治癒神として登場したイエス・キリストとその信徒たちによって徹底的に破壊されたので、1883年になってようやく発掘され明るみに出たというのに驚いた。神殿を訪れた患者が覚悟をもって見た夢は解釈する必要がなく、夢を見ること自体が病を治す絶大な力を持っていると述べ、たとえば、夢の中で、アスクレピオスに手で触れられることがいかに衝撃の体験かということを、恋する人の手に初めて触れたときの感動と比較している。
高橋裕子「夢の絵」
夢をテーマにした絵画を取りあげて論述している。空間芸術である美術は時間的な展開をする夢とはなじまず、また映画も描写が具体的にならざるを得ないが、文学は読者に想像の余地を残すという点で夢を伝えるにはもっとも適した表現としている。また絵画の場合、夢見る人と見られている夢をどう描き分けるかという難しさが生じることも指摘していた。取り上げられている絵画では、16世紀イタリアのバッティスタ・ドッシ「夢」がいちばん気に入った。→絵画では、ほかに新宮一成「ポール・デルヴォー、夢と欲望の孤独」に付されていたダド（ミオドラーク・ジュリッチ）「内乱」も凄かった。
鳥居鎮夫「睡眠行動と夢」
いくつか印象的な言及があった。�〆�睡状態は意識がないという点で睡眠と似ているが、レム睡眠とノンレム睡眠の交替がなく、意識障害として区別されること、�¬椶鯤弔犬襪般楸未肋紊鮓�き、レム睡眠になると目玉が下に降りてくること、�Ｌ椶鯤弔犬堂燭盥佑┐困縫螢薀奪�スしていると、アルファ波がよく出てくるが、目を開けてものを見るとアルファ波が消えること、�こ仞短�はアルファ波は右側にあり（左脳が活発）、うとうとするとアルファ波は真中に寄り、レム睡眠ではアルファ波が左側だけになる（右脳が活発）、すなわち夢は右脳が見ている、�ッ惨�記憶では、放出される伝達物質の量が変化して、シナプスで信号が通りやすくなるという形で情報が一時的に蓄えられ、長期記憶では、シナプスの形態的変化が起こるというかたちで情報が持続的に蓄えられるというように、短期と長期では神経系統の働き方が異なること。
ほか、変わったところでは、日米経済摩擦（当時はそういう状況だった！）の根底には、他国に対する元型的イメージが働いているとする樋口和彦「メルクリウス神話元型と日米経済摩擦」、夢の話はあまり出て来ないが同性愛者の苦悶に誠実に向き合っている態度に好感が持てる大場登「同性愛者のカミング・アウトと夢」、中世貴族の女性関係の自由奔放さに度肝を抜かれた杉岡津岐子「中世の女流日記文学における夢―『とはずがたり』を中心に」。
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