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2021年02月22日09:40

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驚いたことに8

極端な思想を持ち、極端な発言をし、共感者には無上の敬意と親愛の情を示し、さうでない者には鋭利な言葉で批判する、といふタイプの人がゐる。

どんな思想を持ち、どんな発言をしやうが自由だ。
SNSは本来そのやうな場所ではないハズだが、そのやうに使う事適わじ、といふ法律もないので、好きにすればいい。

ある意味では、さういふ人の言動に興味を持ち、主張に耳を傾ける、といふは後学の為にもなる。同調できぬまでもその意見は知っておきたい、と純粋に思ふのだ。

が、さういふ人は往往にして『同調なくば聴く耳も与えず』といふ傾向がある。
よぅするに「ただ聴いてないでナニか発信せよ」と云ひたいらしい。
別にこちらから伝えたい事がある訳でもなく、ただ、貴殿の意見は常々興味深いので拝聴しておきたい、といふ気持ちのみ、なのだが、「発言せぬは卑怯なり」といふ意味の事を云はれるとこちらも穏やかではない。

貴殿はたしか『音楽は芸術なのだから、聴き手がいようがいまいが関係ない』と宣ってゐたのではなかったか?。
それなのに、タダ聞きは許さぬ、と申すか?。
貴殿の意見を「聞くだけ」ではダメ、と申されるか?。

では私は貴殿の音楽をも『自己陶酔の発現に過ぎぬ』と云ふぞ。

それをして「芸術」と呼ぶなど片腹痛い。
芸術とはそんな不自由なものではない。
触れた者それぞれにそれぞれの印象と衝撃と、それぞれの感動を与え、それについて深く考察させるものこそが芸術なのだ。
受取手のおらぬ芸術など、カラスに喰わせてやれば良い。

それを云ふと、かの人はフと居なくなる。
私の前から姿を消す。
巧妙にその痕跡を消し去る。

だが私はかう見えてシツコイ。
絶対に見つけてやる。
そしてまた貴殿の意見を、ぢっと何も問わず語らず、死んだ魚の眼で見据えながら聞いてやろう。

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