親しい人の訃報が続いてゐる。
世代的には、まぁ、意外、とは云へない逝去ではあるのだが、それでもまた生き永らえて会える日を漠然と思ひ描いてゐた人たちばかりだ。
悲しい。
切ない。
そしていつかは自分もそこに加わるのだ、と思ふと、死ぬといふ事とはなにか?を思はずにはおれない。
死を「眠り」のやうに捉えるケースは多い。
「もぅゆっくり休め」といふ弔辞はよく耳にする。
父を看取った時、それまで苦悶の表情を浮かべて昏睡してゐた父が、息を引き取った瞬間からフっと普通の表情に戻ったのを見たときは、やはり死は「安らぎ」のやうなものなのかもしれない、と思った。
死後、生還した例は、多くはないものの、ある。
宗教観、世界観、によってその人が見て来た「死後の世界観」は千差万別で、そは半ば「夢」のやうなものではないか、と考えるが、情報は少なく、やはり我々は「死」といふものに対して、限りなく無知なのだ。
志半ばで逝ってしまった我が友たちが、願わくば安らかな死後を迎えてゐると良い、と心から思ふ。
病魔と闘うのは苦しい。
その苦しみから解き放たれるのが「死」であるならば、悲しみを超えて、晴れやかに彼らを送りたい。
二度と会えない長い旅に、彼は出かけたのだ、と思ひ、いつか自分もそのやうに思ってもらえたら良いと思ふ。
心からさう思ふ。
ログインしてコメントを確認・投稿する