まだTVを見てゐた頃、風雲たけし城、といふ番組があった。
大の大人が、もぅただひたすらに泥まみれになってアホなフィールドゲームに興じる、といふ痛快な番組であった。
ごく普通の運動神経と反射神経、少しの運があればたれでも攻略の可能性はあり、これよりのちに、肉体の限界や根性や精神、人生まで語ってしまふやうな仰々しい番組が現れたが、あぁいふ仰々しさが全く無いのが素晴らしかった。
一般視聴者が参加するわりには、参加者には割と容赦ない攻撃が加えられ、池に落とされるわ、坂道から転げ落とされるわ、バレーボールは顔面にぶつけられるわ・・まぁケアも十分にとってゐたのだらうが、よくこれで怪我人が出んなぁ、と思ひながら見てゐた。
中でもスゴかったのが「これは玉ラン」とかいふて、坂の上からヒトの背丈くらいある巨大なボールが落ちてくるのを避けながら、その坂(かなりの急坂)をひたすら登ってゆく、といふゲームで、運悪く玉が直撃した参加者など、大丈夫か?と思ふやうな落ち方をしてゐたものだった。
最近、あれをよく思ひだす。
といふのは人生そのものが、あぁいふものではないか、と思ふからだ。
不条理な妨害に耐え、最後まで勝ち進み、最後のゲームの最後の最後に、開かないドアに向かって全力で体当たりして失格、といふ人生もありうるのだらう。
努力すれば報われる、などといふはたわ言だと思ふ。
努力は、した方が人生が豊かになる、といふものに過ぎない。
努力そのものには、見返りはないのだ。
ただ願わくば、最後にはちゃんと開くドア、破れる扉、がある事を祈ってやまない。
たれの人生にも
もちろんワシにも
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