投票に行ってきた帰り道、これまでそんなものはなかった場所に「理髪店」があった。
新規オープンしたのだらうか。
フツーの住宅を改装・・・といふほどにも改装してないかんぢで、フツーの家のやうだ。
「営業中」の看板は架かってゐる。
投票場への通り道にあり、玄関口に「投票のあとはカット」とのコピーが添えられてゐたのには笑った。
さう云へば、高校生〜大学生くらいまでは、床屋に行くと云へばやはり日曜日だったな。
今はどーか知らぬが、あの頃は「予約」なんてものもなく、飛び込みで店に行ってた。
少年時代は「普通に」カット。
高校時代は「スポーッ刈り」。
学生時代は「角刈り」か「パンチパーマ」。
たいていが混んでゐて、1時間やそこら待つ事になるのだが、その待ち時間に読む漫画が好きだった。漫画雑誌を買わぬ子供だったので、そこでしか読まぬ「少年チャンピョン」や「少年マガジン」は、床屋で過ごす時間の楽しみの一つだった。
んで、床屋独特のあの香り・・・・。
ローションやオーデコロン、蒸しタオルの蒸気・・・。
髪を切ってもらひながらの、親父さんとの他愛ない会話・・
女性の理髪師が顔を剃ってくれる時には、おっぱいが鼻に当たったりして・・・。
床屋は大人の世界だった。
ちなみにワシが行ってゐた理髪店は、親父の代から懇意であり、ワシは産毛のカットから、なんかんだで25歳の時まで世話になった。数年前、親父さんが亡くなられて廃業した、といふ噂を聞いた。
50年以上は開業しておられた理髪店であった。
学生を終了したワシは、親の仇のやうに髪を伸ばし始め、また切るときは自分で切るやうになったので、理髪店には行かなくなった。そしてさらにそのあとは「剃髪」になって、ますます床屋は縁遠くなった。
今は剃髪ほどには剃りあげてはおらぬのだが、それに近い短髪で、やはりバリカンで自分で刈ってゐる。親父さんや他の技師との会話も悪くないものだったな、と思へば、今のこのやり方は、味気ないっちゃ味気ない。
けふ、何軒かの理髪店の前を通り、懐かしい気分になった。
タマには床屋にでも行ってみるかね、とも思ふが、残念ながら床屋に行くほど、髪がないのだった。
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