レッスン、と云ふ仕事を始めた頃、野心があった。
そは弟子をいっぱい「デヴーさせてやる」といふ夢だ。
プロ・ミュージシャン、と云ふ厳しい世界に耐えうるだけの技術と根性を兼ね備えた弟子を送り出し、『あれはシュウの弟子だぜ』と云はしめるまでの「レッスン・ブランド」。
自分がやって来た練習法、技術の習得にかけたコツ、プロで演ることの心構え、などを、割と親身に伝えて来たつもりであった。
事実、何人かの弟子はメヂャーの世界にも行ってゐるし、今も変わらず音楽を演り続けてゐる者も多い。幾人かはワシの「奔放なところ」をちゃんと受け継ぎ、『変わった実力派』として知られてゐたりもする。
そは嬉しい。
さういふ弟子を排出してこそ、インストラクター、と云ふ仕事の誇りと意味が生まれる。
だが、昨今、「習う」といふ概念が大きく変わった。
たれも「上手くなるため」になど楽器を習わない。
「楽しむため」だと云ふ。
インストラクターも「楽しみ方」を教える。
さういふインストラクターが人気を得る。
生徒と講師が楽しく交わり、時間を共有し合って、そこに満足を見いだす。
たれも「プロ」など目指してない。
上手くなろう、となどしてゐない。
ワシの処のやうに、『BPM90から180までテンポを上げながら十六分音符を弾き続ける』などと云ってるやうなところは、生徒もすぐ去ってしまふ。
もはやさういふのは「時代遅れ」なのだと云ふ。
うむ。
さうなのだらう。
「そは違う!」とはワシも云はぬ。
ワシは「老いた」のだ。
インストラクターとして。
だからワシは去った。
「教える」といふ業種に、もはやワシのやうな古い教義が不要なれば、去るほかはない。
いざ、さらば。
清らかに去った。
だから、去った箱から「マイナンバーを出せ」となどと云はれる筋合いはない。
必要とあらばまた電話口で怒鳴りまくってやる。
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