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2016年07月10日21:17

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大河ドラマ 真田丸 第27回「不信」

・豊臣秀吉は、真田信繁に関白 豊臣秀次に仕えるよう命じる。そして信繁は、秀次に仕えることに。秀次は信繁に秀吉が自分のことをどう思っているか心配する。

・豊臣秀吉は、豊臣秀次に日本を5つに分け、そのうち九州の一つを拾が言葉が分かるようになったら、拾に分け与えたいと相談する。それに対して、秀次は、秀吉が自分を信頼してくれないことに不安を感じる。

・きりは真田信繁に豊臣秀次から側室になるようにと言われたことを相談する。信繁は、きりが秀次の側室になることには反対しない。きりはその信繁の態度に怒ってしまう。

・真田信伊が真田昌幸、信繁と再会。信伊は徳川家康より、所領を1万石に加増するとの打診があったが、それを断り、徳川家を離れ、諸国を回り、見聞を広める旅に出ることに。

・豊臣秀次の娘 たかがきりに秀次は人にどのように思われるのか気にする人であり、また、秀次の側室にならないほうがいいのではとアドバイスする。

・豊臣秀次は豊臣秀吉に認められようと、宇喜多秀家に頼んで、能の稽古をする。そして、吉野の古水院で、秀次は秀吉の前で、能を舞う。そして、豊臣秀保が病に倒れ、真田信繁も急遽、代役で歌を歌うことに。しかし、能を見た秀吉は、関白の職務をそっちのけにし、能に注力するとは何事かと怒りまくる。

・そのあと寧は、落ち込む豊臣秀次に豊臣秀吉は、秀次にしっかりしてほしいと思っているので、自分のやることに自信を持つよう励ます。

・その夜、宴が催され、豊臣秀吉は真田信繁に従五位下の官位を与えることを言い渡す。しかし、信繁は兄 真田信幸を差し置いて、官位をもらう訳にはいかないと断る。秀吉は信繁が、兄弟そろって官位をもらおうと企んでいるんだろうと怒り、官位の話はお流れになる。しかし、豊臣秀次が、官位を与える役目は関白の役目であり、秀次から信繁に従五位下の官位を与え、信幸については、官位を与えるかどうかふさわしかどうか吟味した上で与えることを申し出る。秀吉は、秀次の頼もしい姿に喜びを感じる。

・沼田城の真田信幸は従五位下の官位をもらう話を聞き、京へ上洛することに。そして稲に人質として京へ行くように命じる。しかし、稲は信幸の命に従わず、実家の浜松に帰ることを考える。それに対して、おこうは浜松へ帰ろうとする稲に思いとどまるよう説得する。

・真田信幸、真田信繁は京で、従五位下の官位をもらい、信幸は伊豆守、信繁は左衛門佐と命名される。

・真田昌幸、信幸、信繁は官位の礼を言いに、豊臣秀吉と対面。秀吉は、信繁の口止めにもかかわらず、最初は信繁だけに官位を与えられるはずであったが、信繁の配慮により、信幸にも管理が与えられることになったことを話してしまう。

・真田信幸は真田昌幸に弟の情けを受けてまで官位を受けたく、返上できるものなら官位を返上したいと願い出る。そして、信幸は真田信繁に信繁の抜け目のなさに腹が立つといい、信幸と信繁は不仲になる。

・真田昌幸は、豊臣秀吉とり伏見城の普請の仕事を頼まれる。当初は伏見城は、秀吉の隠居の城であったが、急遽 秀吉が祭り事を行うよう設計が変更となる。そして昌幸は、気を使って、真田信幸に伏見城の普請を命じるが断固として断る。結局は真田信繁が普請を引き受けることに。

・豊臣秀次が真田信繁のもとを訪れ、信繁にきりを側室になるよう頼んでいることを報告する。そんな中、秀次は信繁の横にあった伏見城の普請の図面を見つけ、伏見城は豊臣秀吉の隠居用の城ではなく、祭り事のため作られることを知る。そして、豊臣秀吉はなぜこの秀次を信用してくれないのか強く不安を感じる。

・そして、豊臣秀次の不安を増大させる事態が起こる。秀次の弟 豊臣秀保が病でこの世を去る。それに対して、豊臣秀吉は拾が今年3歳であり、鶴松は3歳でなくなっており、秀保がこの不吉な年にこの世を去り、また、拾のために力を尽くさないことは許せないと、豊臣家で秀保の葬儀を行わないことを決める。この秀保の一件で、秀次は秀吉は自分は必要ないと思いこみ、聚楽亭から姿を消してしまう。そして、秀次は忍び姿で、大坂城できりの前に姿を現すのであった。

(感想)
・今回は徳川家康の出番がなく、残念。真田信伊はいよいよ徳川家を出奔し、見聞を広めるたに全国所業の旅に。今度、登場するのは大坂の陣の時でしょうか。

・今回の豊臣秀次の描かれ方、石田三成陰謀説ではなく、自ら自滅という形で、秀次は危機に陥る筋書に。秀次は能で秀吉に叱られ、官位を与えるのは自分の役目とはっきりいって名誉挽回かと思いましたが、豊臣秀吉の伏見城普請、豊臣秀保事件で、自ら追い詰められ、自滅する形に。次回の高野山は自ら行く筋書になるのかなあ。

・真田信繁が豊臣秀吉より官位をもらおうとするが、兄 真田信幸のことを気にかけ、官位をもらうことを辞退する筋書、なんか、鎌倉時代 源義経が兄 源頼朝の許可を得ず、勝手に官位をもらったことを関連づけているように思えました。そして、左衛門助が源義経にちなんだ名前であったとは。

・真田信幸が弟 真田信繁に嫉妬するところ迫力ありました。今後、信幸と信繁は仲直りするんでしょうか。

次回 受難

ゆかりの地 奈良県 吉野町 櫻本坊

近鉄吉野線 吉野より 千本口から ロープウエイ吉野山 下車 徒歩40分


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