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2016年02月09日12:39

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春まだ遠きmixi日記16

経済学部経営学科、といふ、まぁご多分に漏れず、ミュージシャンをやるには全く意味のない大学を出てゐる。

当時の彼女と出来るだけ離れたくない(遠い街に行きたくない)、と云ふ理由だけで選んだので、当時のワシからしても、まっっっったく努力しないで入れる大学を選んだ。

ミュージシャン仲間の中には、大学に入ったモノの、授業には全く出ず、結局7年間学生をやった上で除籍、などといふフトドキモノも多いと聞き、実際同級生にもゐた。

ワシが住んでゐた学生アパートは、ワシしか卒業しなかった。

そんな中、ワシは比較的、真面目に授業を受けた方だった。
まぁハッキリ云って、全く努力をせずとも入れる大学を選んで入学し、そこで留年なぞした日にぁ人生捨ててゐる。
大酒飲みで喧嘩好きで悪仲間もたくさんゐた学生時代だったが、単位の取得は順調に進んでおり、特に専修科目になる3年以降の成績表は「優」と「良」のみで、「可」も「不可」もなかった。

ので、4年次には壱週間のうち2日しか学校に行かなくても良い、くらいのヨユーだった。

まぁ、安くて美味い学食を利用するために、毎日登校はしてゐたが・・・。

「経済・経営史」といふゼミを受けており、これは思ひのほかオモシロかった。
とは云へ、学問としての面白さを理解してゐた、といふ程のものではなく、ただ歴史として知りうる色んな事が、存外にオモロいと思ったのだ。

経済の歴史、とは、そのまま人間社会の歴史そのものである。
だから、漠然と「歴史の授業」として、広く浅く覚え込ませる中高の授業より、経済、と云ふポイントに絞った歴史、といふものが楽しかったのかもしれん。

卒論は

「黒人社会における経済発展の歴史とブルーズ音楽の関連性」

といふもので、枚数稼ぎのために古いブルーズの訳詞を延々書き連ねたりした。
着眼がオモロい、と教授に褒められた。
内容は、まぁ、完全なねつ造と辻褄合わせとこじつけのオンパレードで、あんなものが「論文」として通用する筈はない。

思ひ出せば大学の授業でも、『昭和における経営管理の推移』につひてレポート用紙壱枚を埋めよ、と云ふ試験があり、ワシは教科書も全く見ずに『昭和における経営管理』といふ言葉だけを、もぅ屁理屈に次ぐ屁理屈で膨らませ、レポートを成し遂げた事がある。


ワシが自分を「稀代の嘘つきだ」と自称するのは、さういふ処なのだ。



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