ロジェ・カイヨワ金井裕訳『夢の現象学』（思潮社 1986年）
これも25年ほど前に一度読んだ本。カイヨワは学生時代に京都の関西日仏学館で講演を聞いたことがありました。その後、『妖精物語からSFへ』、『幻想のさなかに—幻想絵画試論』、『詩法』など、訳されているうちのかなりの本を読みました。文学的な見方を堅持しつつ、自然現象も含めた広い分野にわたって、一貫して想像力のありようを探究している姿勢に惹かれたのだと思います。本作も、学術論文というよりはエッセイで、小説風の魅力を持った語り口があります。
翻訳については、原文を見ていないので詳しくは分かりませんが、おそらく原文がかなり込み入っているのでしょう、逐語的で丁寧な訳ですが、決して読みやすい、あるいはうまい訳とは言えません。タイトルの「夢の現象学」も、原題を直訳すると「夢から来るあやふやさ」（タイトルらしくするとすれば「夢の不確実性」）で、こちらの方が内容を正確に表わしていますが、最初の訳本では「夢について あるいは暗黒の島の虜人」といった妙な副題をつけたり、再版では「夢の現象学」と、これも一般的な当たり障りのない訳になっていました。
大まかに言えば、現実と夢の関係を、夢、記憶、覚醒（現実認識）の微妙な境界を軸に考えた著作と言えます。 叙述のなかで、いくつかのポイントを挙げてみますと、
� 峪笋砲箸辰凸瓦蓮△曚箸鵑姫世両檗覆�たち）か、蝶の翅の模様以上の意味をもっていない」（p11）とか「夢は現実の上になんらの結果ももたらさないからであり、忘れ去ってしまうに越したことはない」（p22）と、夢に過重な期待を抱いていないこと。
�△海譴泙任量寛鮗瓩蓮◆崢擦糧�翔、動物の臓物、コーヒーの出がらし、手相、夢などといった無意味なもの」（p16）に意味を見出そうとするのと同程度のものとしていること。（カイヨワは、一方では、そうした想像力のすばらしさを認めている）。
�５�憶には、夢の思い出と現実の思い出を明確に弁別できる力はないとして、いろんな具体例を挙げている。
1）旅の記憶では、いろんな場所の記憶が混同されて、さらにそれを夢に見た場合、もはや現実と夢の区別がつかなくなる。また迷路のようなアーケード街で道に迷った経験は悪夢に似ている（p17〜21）。
2）記憶の当てにならないのは、それが、現実の思い出か、夢の思い出か、何か考えていたことなのか、口に出したことなのか、口に出した夢を見ただけなのか、それとも口にするつもりで考えていたことなのか、というふうに、不確実性がどんどんと展開していくところにある（p23〜24）。
3）飛行機で隣りで寝ていた中国人が、突然起きて変な質問を投げかけてきたが、彼はきっと夢を見ていてその続きを喋ったのだろうと言った友人が居たが、実は、それも友人が夢に見たことではないか。いやもしかして、それら全部は私が夢に見たことではないのか（p27〜30）。
4）もうひとつ記憶の曖昧性に関するカイヨワ自身の体験が記されていて、ある町を訪れたとき、昔付き合っていた女性のことを思い出して、彼女の部屋へ行こうとしたが、似たような建物がたくさんあって、辿りつけなかった。台所や電灯など部屋の細部は覚えているのに、よく考えてみると、通りの名前も番地も憶えておらず、さらには女性の名前も、顔立ちも忘れているのだった。それならその女性が実在しなかったことと同じではないかと、愕然とした。私は夢を見ていたのかも知れない（p32〜36）。
�ぬ瓦寮こΔ漏仞辰寮こΔ反慎佞如¬桔蛭�性、隷属性が特徴であることをいくつかの点で指摘していること。
1）夢見ている人にとっては、覚醒の世界は思い出の状態としてもまったく存在していない（p42）。
2）夢見ている人が夢の状態に関して疑義を感じたり、問題設定を行ったりすることはなく、もしそうした問いを立てることができるなら、それは目覚めているということである（p43）。
3）夢は、さまざまの残骸が発酵する塵箱であり、さまざまの満たされざる欲望が表現され、そこに偽の出口を見出す暗号の言葉である。覚醒状態にあってのさまざまな能力、意志力、弁別力や、分析し、評価し、選択し、疑い、拒否し、想像する能力が消えたところに、像（イマージュ）として現われるのが夢である（p79）。
4）人間の批判的諸能力が一時的に停止されるという事実こそ、人間からあらゆる防御を奪い取るものである。夢を見ている人には、自分をとらえて離さぬ呪縛から逃れようとしても、目を開くという方法は残されてはいない（p116）。
この本に取り上げられている例には、観念的な言説が多いことも特徴です。とてもそんな夢は実際には見ないだろうと思われる話がいくつか挙げられています。例えば、「夢かどうかを確かめるために指を噛んでいる夢を見ることだろう」（p65）、これは話としては面白いが、実際的ではありません。また、上の��の4）の例で、「通りの名前も番地も憶えておらず、さらには女性の名前も、顔立ちも忘れているのだった」とありますが、そんなことが起こりえるのでしょうか。また、「夜から夜へとひきつがれてゆく一つの夢に生涯つきまとわれている一人の人間を仮定し」（p45）とありますが、非現実的な設定です。
また、プルーストの「睡りの中で部屋に入って来ていた友人たちに、つい今しがたわたしは睡りながら、自分が睡っていないのだと思っていたと話そうとしているのだった」（p90）という文章が引用されていましたが、そんな夢を見ることはありません。観念の遊びとしか言いようがありません。こうした頭でしか考えていない一連の話に、サルトルが痛快な言葉を投げていました。「だれしも一瞬、自分は夢を見ているのだ、自分が読んでいる本は夢の中の本なのだと思ってみることはできる・・・このような仮説の馬鹿々々しさは、〈おそらく私は存在しないのではないか〉という命題・・・のもつ馬鹿々々しさに劣らぬものである」（p86）。
取り上げられていた夢の事例のなかでは、『紅楼夢』の第56章の宝玉の夢が、入れ子構造になっていて面白かった。簡単には説明できないので、詳しくは本書か、原典にあたってみてください。
この本を昔読んだ時に書き付けたメモが面白いので書いておきます。「覚醒時には、目の前の現実を視た際に、一瞬にしてそれを正しく位置づけ理解するために、過去のイメージを総動員して引っ張り出してくる機能が働いている。睡眠中は現実と相対していないにも拘わらず、その機能だけが慣性の法則のように働くために、それが夢となって現われるのだ」。
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