こないだ大阪駅にぼぅっと小一時間佇んでゐた。
で思ったのは、ケータイもスマホもない時代・・・そんなに前の話しではない・・・に、人はこの人ごみの中で、よく「待ち合わせ」が出来てゐたものだ、と。
こんなことがあった。
学生時代の友人の結婚式に合わせ、各地に散らばった仲間が東京で再集結することになった。「何時何分の新幹線の何号車両に随時乗り込む」といふ形のルールを立て、たしか一番西は九州。そこから徳山、広島、岡山、大阪、と一人づつ増え、最終的に東京で8人が集う筈だった。
これが、岡山の奴が乗り遅れたのである。
ケータイは勿論、まだポケベルすらなかった時代だ。
はぐれた仲間を捜し出す術はない。なによりどこにどぅ連絡を取れば良いのか・・・。
これはもぅダメだらう。
明日の結婚式場に来るのを待とう。
けふはしゃあないので、ヤツ抜きの7人で宴会だ。
だれもがさぅ思ひ、事実東京で集結した7人は、式場に近い適当な居酒屋で「前祝い」と称して宴会を始めてゐた。
そこに、なんと、岡山の奴は現れたのだ。
ヤツは鬼の執念でもって、ひとりで東京にたどり着き、聞き込みと勘だけで、ワシらの宴会場を探り出したのだ。
いま思ひ出しても、アイツよく来れたな、と。
さういやワシも「すがも」と「はすね」を聞き間違え、当初の待ち合わせに失敗したものの、結局は「板橋」で相手と会えた、といふ経験がある。
何故、会えたのだらうか?。
さういふ、なにか動物的な直感でもって、何かを探し出す、といふ技は、おそらくケータイの出現で失われた。
なるほどニンゲンは、さうして周辺機器を発達させながら、動物としての機能を低下させ、今に至ってゐるのだな、と。
みんなちぃさく莫迦になりつつある。
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