西のほうから向かってくる軍勢は浅井軍であった。軍勢は約100隊ぐらいで、その軍を率いる大将は海北綱親であった。綱親は赤尾清綱や雨森清貞と共に浅井三将と呼ばれていた。浅井長政は綱親を武田信玄の軍勢を小谷城への道案内をするため迎えの軍として差し向
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