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2008年06月08日03:16

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メデューサ第35章

「鉄鎖のメデューサ」第35章(MF〜MF)2021年改稿版


「なあ、名前はなんていうんだ。もしや……」
 思いつめた顔で問いかける若者を見上げて、少年はおずおずと答えた。
「……ロビン」
 すると相手は俯いた。ひどく意気消沈した、張りつめたものが切れたような様子だった。そうだよな、と呟くのが聞こえた。
 やがて若者が顔を上げたとき、目にはいっぱいの涙が光っていた。
「俺にはたった一人の家族が、弟がいたんだ。ヨハンっていう名前で、おまえとそっくりで、いつもハンス兄さんって俺のことを慕ってくれて……。
 でも、もうヨハンはいない。俺はヨハンが骨になっちまった国へ帰らなくちゃならないんだ」
 声が震え、堪えきれなくなった涙がついにこぼれた。
「俺は神に滅びた国の姿を見せられた。呆然とした。でも、まだどこか実感がなかった。驚きが大きすぎたのかもしれない。
 けれどあれから日にちがたって、だんだん分かってきたんだ。もうヨハンはどこにもいない。俺はたった一人でからっぽの国へ帰るしかないんだということが……」

 いつのまにか重い沈黙が辺りを支配していた。ハンスの言葉に誰もが聴き入っていることを示すものだった。
「仲間だってみんな身内を亡くした。俺だけがこんなことをいってはいけないことは分かってる。そもそも俺たちはおまえの国を陥れようとした。おまえに頼めるはずがないってことだって、
 でも、とても耐えられないんだ。このままじゃ俺はもうだめになっちまう。
 お願いだ! おまえのことを想いながら生きていさせてくれないか? できれば俺のこともたまには思い出してくれないか? だったらなんとか頑張れそうな、そんな気がするんだ」
 ロビンがとっさに答えられずにいると、仲間たちからも声がかけられた。
「そいつの頼みをきいてやってくれないか」「お願いだ!」
 だが、胸いっぱいに広がった思いに少年は呑み込まれ、それを言葉にできずにいた。共感の涙が目にあふれたが、それも混乱に拍車をかけた。胸のつまるような苦しみにロビンは喘いだ。

 すると、なにかが腕に触れた。舌足らずな声がおずおずと名を呼んだ。
「ろびん……」
 クルルの金色の瞳が不安そうにロビンを覗き込んでいた。触手の先が腕に触れていた。
 間近に見た小柄な妖魔の顔に、ロビンは初めて出会ったときに感じたことを思い出した。すると、思いが形をとった。紡ぐべき言葉が見出された。
「……僕の姉ちゃんも二年前に死んだ。そしてクルルは姉ちゃんに似てた。そんなふうにクルルと出会った。
 でも、クルルは姉ちゃんじゃない。人間じゃないけれど、それだけじゃなくって、クルルにはクルルの思いがあるって分かったから……」

 たどたどしく話す言葉は、話すそばから重い沈黙の中に吸い込まれた。これでいいのだろうかという不安をロビンは感じたが、形になった思いを頼りに言葉を続けた。
「クルルは姉ちゃんじゃないけれど、僕にはもう姉ちゃんと同じくらい大事なんだ。だから、僕はあなたの弟にはなれないけど、それでも僕のことを思ってくれるんだったら、別の大事な誰かになれるんだったら、僕は嬉しい……」
 一瞬の沈黙のあと、ハンスがロビンの前に膝をつき、その手を取った。
「ありがとう! ロビン、本当に……っ」
 あとを続けられずに嗚咽をもらすハンスのその声に、小さな、繊細に打ち震える喉声が重なった。クルルの触手が、ロビンの手を包むハンスの手にそっと触れた。ハンスが顔を上げ、仲間たちも立ち上がった。
「メデューサが鳴いた……」「あんな声で鳴くのか……」
 若者たちが囁きあう中、ハンスは手に触れた触手をロビンの手に重ねて、改めて自分の手を重ねた。若者たちが集まってきた。誰もが涙を浮かべていた。


「その無粋なものはしまっておいたほうがいいぞ」
 抜き身の剣をぶら下げたまま、思いもよらぬ光景に心奪われていたホワイトクリフに、いつの間にかそばにいたラルダがそっと声をかけた。あわてて剣を収めたホワイトクリフは、うるんだ目を見られまいと顔をそむけた。そして視線の先にいたゲオルクの顔に浮かぶ奇妙な感慨を認め、思わず話しかけた。
「きさまもメデューサの声は初めて聞くのか?」
 ゲオルクは若きナイトに視線を移し、頷いた。
「出会えば石にされるかもしれぬ妖魔だ。俺たちにとっては殺すか追い払うほかない相手だった。隣りあわせで住んでいたのに、いや、そうだったからこそ分からなかったというべきか……」
「これからは、それも変わってゆくのだろうか」
 ラルダの呟く中、三人は少年と小柄な妖魔を囲んだ若者たちの姿を、いつまでも見つめていた。


−−−−−−−−−−


 次の日も一行は馬を走らせたが、雰囲気はがらりと変わっていた。刺々しさや沈痛な影はもはやなく、蹄の音を轟かせながら、彼らは力強くひた走った。
 太陽が西に傾き始めたころ、行く手に十字路が見えてきた。若者たちの集団が二手に別れた。それぞれが東と西に進み、諸国を訪ね仲間たちを合流させながら滅びた祖国へ連れ帰るべく。
 十字路に差し掛かる寸前、ハンスがロビンの乗った馬の横に近づき呼びかけた。
「ロビン、いつか俺たちの建てる国を見にきてくれ!」
「きっといくよ! ハンス」
 ロビンが答えたとたん、若者たちは十字路を右と左に曲がっていった。西に進んだ一団の後ろで手を振るハンスの姿もたちまち見えなくなった。

 そして見送ったロビンの胸の中には、ひとつの決意が生まれていた。


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