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2008年04月05日04:41

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メデューサ第7章

「鉄鎖のメデューサ」第7章(MF〜MF)2021年改稿版


 次の日からロビンの日課には、仕事の帰りに酒場や夕食の席で語られる小柄な妖魔に関する噂を聴くことが加わった。帰るべき故郷はどこなのか。林檎の実る土地であることは察しがついた。でも、それ以外はなに一つ分からなかった。ロビンはこの街から出たことさえなく、貧しい身ゆえに外界について学ぶ機会も得られなかった。だからほんのわずかな手掛かりの一つでもあればと考え、大人たちの話に一生懸命耳を傾けたのだ。
 だがそこで聞いたのは、荒唐無稽とか噴飯物という言葉でしか形容できぬものだった。
 最初はまだしもまともだった。スノーレンジャーとか呼ばれる五人の若者たちに橋の上に追い詰められた魔眼を持つ邪悪な魔物が逆襲して、魔物を攻撃した苛烈にして仮借なき魔女と相打ちになったという話だった。ロビンとしては魔眼うんぬんはともかく邪悪な魔物というくだりには大いに異議があった。そのうえなぜスノーレンジャーに魔女なんかがいるのかも疑問としかいいようがなかった。けれど少なくともこの時点では、この話は河岸から遠すぎて窺い知れなかったあの橋の上での出来事の説明として、一応は受け入れられるものだった。
 けれど毎夜酒場を訪れるごとにその話はみるみる変わりゆき、あっけにとられる少年の前でどんどん事実からかけ離れていったのだ。

 どういうわけか、エスカレートし始めたのは「魔物」ではなく「魔女」に関する話のほうだった。「魔女」がよほど恐いのか、それともなにか恨みでもあるのか、一部の者があれは魔女どころか破滅の大邪神だといい出したのだ。
 たちまち周りの酔っぱらいたちが先を争い好き勝手に尾ひれをつけた。となれば敵役の魔物もそれに負けぬよう姿を変えるのは必然だった。いつのまにか子供の背丈しかなかったはずの妖魔が激怒した雪原の覇竜アリズノアにまでスケールアップした結果、無数の首を持つ山より大きな巨大怪竜が大橋の上で暴れたことになったのだ。そんなバカなとうっかりいってしまったロビンは、どんよりした目の酔いどれにろれつの回らぬ説教を延々と聞かされるはめになった。

 もはやスノーフィールドの橋に降臨したのは、神々も手の出せぬ怪物たちだった。究極の二柱の魔神が世界の破滅のありかたを決するため、天界の均衡を自らに傾けるべく戦ったのだ。破滅の大邪神が勝てばこの世界は灼熱の業火に崩れ落ちる定めだった。巨大怪竜が勝てば森羅万象は石化され、永久凍土へと閉ざされる運命だった。
 神々は誰ひとり彼らに立ち迎う力がなかった。それほどまでに魔神たちは強大だった。だから力弱き神々は海原の小船のごとく翻弄される天界の天秤棒を右往左往しながらも総手で抑え込み、宇宙の均衡をなんとか守り抜いた。その結果、恐怖の魔神たちは相打ちとなり、世界はからくも破滅を免れた……。

 ロビンはついに脱落した。思春期に至らぬ少年は、酔っぱらいの話に真実を求めた己がバカだった、いいかげんな大人への不信感を早々と植えつけられただけだと感じざるを得なかった。この先どうやって手掛かりを掴めばいいのかと、哀れな少年は途方にくれるばかりだった。
 そう、少年は確かに幼な過ぎたのだ。いかにデタラメな与太話にさえ、時には真実のかけらが紛れ込むことも全くないわけではないことを理解するには。


−−−−−−−−−−


 スノーフィールドの中心部に位置する官庁街。その外れにある警備隊本部では、スノーフィールドにメデューサを持ち込んだ容疑者に対する取り調べが今も続けられていた。
「なんでも尋問に相当手を焼いてるらしくってな。兄貴のほうはだんまりを決め込んでるし、弟のほうはまともに話が通じないんだそうだ」
 廊下を歩きながらエリックがいった。
「それでメデューサと直接向き合った我々に尋問させようというわけでありますか?」
 アンソニーの問いかけにエリックは頷いた。

「だからって、なぜわたくしがその低能のほうの尋問に立ち合わなければならないんですのっ?」
 見るからに不機嫌そうなメアリの様子にエリックは躊躇した。でも、それを見逃すメアリではなかった。
「エリック? 知っていることがあるのでしたらおっしゃいなさいな。隠そうとしてもムダですわよ」
「やる気満々なのはいいですがぁ、尋問する相手を間違うのは感心しないでありますよ〜」
 助け舟のつもりらしいアンソニーの混ぜ返しはメアリをさらにいらだたせただけだった。エリックはとうとう観念した。
「なんでも弟のほうはよほどおつむが弱いらしくてな。石にされた状況を聞き出すのがせいぜいだろうと尋問したというんだが、それさえ丸っきり要領を得ないらしい。そこで同じく石化された経験者なら、なにをいわんとしているか見当だけでもつくのではないかと思ったというんだが」
「く、屈辱ですわっ」怒りにわなわなと身を震わせるメアリに、エリックは言葉を続けられなくなった。

 石化そのものは致命的なものではなく、それを解く呪文も存在する。しかしメデューサが分布しないこの極北の地では被害にあう機会自体がないせいで、石化についてもおよそ事実からかけ離れた奇怪千万な噂が流布しており、メデューサが大通りを駆け抜けるという誰一人予想もしなかった事態を受けて人々の恐れと好奇の入り混じった関心は沸点に達していた。先手を取った相手に相打ちに持ち込まれたこと自体メアリのプライドにとって許されざる事態なのに、そのうえ人々から興味本位の視線を向けられることを免れず、あまつさえ高位呪文であるため決して安くない石化解除の呪文の代金を、立替え払いした当局に返納すべく当分の間給金から天引きされるとあっては、エリックとしてもメアリの胸中は察するに余りあるものがあった。
 この話題はなんとしてもここで終わらせなければとエリックが思ったとたん、間延びした声がとどめの一撃を放った。
「気持ちは分からないこともありませんがぁ、我々もそれなりに大変だったんでありますよー。なにしろ橋から撤収する時だって四人がかりで」
「ば、バカっ、アンソニー!」焦ったエリックだったが、もはや後の祭りだった。

「……それはなに? わたくしが、このわたくしが重かったとでもいいたいんですのっ!?」
 形相が変わっていた。危険な角度につり上がった碧眼に燃える光は石化の魔眼どころか呪殺の邪眼さながらで、色を失った顔をとり巻く豊かな金髪がいまにも逆立つかのようにざわめいた。取り調べ室の入り口を守る警備隊員の敬礼しようとした動作が凍りついた。部屋の中にいた愚鈍そのものの大男さえも脅えた様子で身を縮めた。本能的な恐怖に取り憑かれたのは明白だった。
 これから繰りひろげられるであろう光景を想像し、エリックは嘆息した。縮み上がった大男がただただ哀れだった。


−−−−−−−−−−


 ボビンはこれまでと同じく黙り通していた。メデューサの存在がここまで公になった以上、いまさら秘密を守るために殺されることはないだろうとたかをくくっていたが、尋問されて自白したとの評判が立つのだけはどうしても避けたかった。そんな評判が立てば、二度と実入りのいい裏稼業に手を出すことはできない。信用を無くし仕事を回してもらえなくなるのはもちろん、無理に近づけば警備隊の走狗と見なされ殺されかねないはずだった。
 だから赤毛の青年の粘り腰の詰問にも、その長身そのものが剣でできているような金髪の男の威圧にさえも耐え続け、ここまでひたすら黙り続けてきたのだ。

 そのとき、遠くから女の叫び声が聞こえてきた。
 目の前の二人が顔を見合わせたのをボビンは見た。
 若い娘の声らしかった。しかもなんといっているのか聞き取れなかった。にもかかわらず、想像を絶する怒気がその遠い声からビシビシと伝わってきた。ボビンの背筋を戦慄が走った。

 あまりの凄まじさにボビンの遠い記憶が呼び起こされた。初めて禁輸の品の運び屋稼業に手を染めたときの記憶だった。品物の受け渡し相手と祝杯をあげに入った酒場で、彼はフューリーとかいう激怒の女神を奉じる遠い国の人々の話を聞かされた。
 そのときボビンはせせら笑った。激怒の神が女だぁ? なんと軟弱な連中だ! そんなもののどこが恐ろしい? チャンチャラおかしいと。
 魔神のことを鼻で笑うもんじゃねえとつぶやく年嵩の相手に、祟れるもんなら祟ってみろいとあの酒場でボビンはうそぶいたのだった。

 酒のせいだったんだ。恐怖に鷲掴みされたボビンは、その声に向け心の中で必死にいい訳をした。なにもあんたを本気でバカにしたわけじゃないんだ。誤解しないでくれ。勘弁してくれ!
 だが、そんな付け焼刃のいい訳になど女神が耳を貸してくれるはずがなかった。叫びはひたすら激しさを増し、赤毛の尋問者の話になんの遠慮もなく割り込んだ。
 とうとう尋問は中断した。ボビンも二人の尋問者も、迫る破局への予感の中、等しく耳をその声に釘付けにされていた。
 だしぬけにもの凄い音がした。ボビンは心臓が喉から飛び出しそうになった。なにがどうなるとそんな音が出るのか見当もつかなかった。目の前で赤毛の若者が頭を抱えた。凄腕らしき長身の男も腕を組んで天を仰いだ。
 ひときわ大きな怒号が轟き渡った。それまで聞き取れなかったはずの言葉が、なぜかはっきり聞き取れた。しかもそれは最悪の宣告だった。
「もうよろしいですわ! あなたがそんな調子でしたら、あとはその尊敬する兄さんとやらに全てを吐いてもらうまで!」

 ボビンの心がついに恐怖に挫けた。目の前の二人の尋問者に、彼は縋らんばかりに哀訴した。
「た、助けてくれ! 話す、知ってることは全て話す! だからあれをここへ来させないでくれえぇ」


 訊かれもしない過去の余罪までボビンは洗いざらい喋ったが、結局スノーレンジャーは大した情報を得られなかった。どれだけ恐怖に憑かれようが、知らないことまで話せる道理はなかった。そして、ないに等しい情報と引き換えに、苛烈なる魔女の尋問の悪評がスラムを中心に轟き渡ったのだ。
 そのことがスノーフィールドにおける犯罪の発生率を抑制したと唱える歴史家さえいたが、選ばれなかった運命の岐路は未知の領域に属するものであり、もはや比較の対象とするすべはない。真実は人間の手が永遠に届かぬ所に今も置かれたままである。


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