一昨日も、このキャロル・キングのドキュメンタリーを見ていれば、とても平穏で安らかな一日を過ごせたのにと、いまさらながらに後悔しました。1973年5月26日(土)にセントラルパークで開催されたフリー・コンサートの記録映像です。画質からして16ミリだと思います。だからといって、これしか無いならしゃーないやんか。
音質も、例のオデッサとかいう音響設備を自慢しているスクリーンでの上映ですが、そもそもの録音以上の音は望めるはずがありません。しかしレコードで慣れ親しんだ、包み込むような優しさに溢れたヴォーカル、バンドとの息のあったノリ、そんなはるかな記憶が、絶妙の味付けとなるのでした。1曲目の“ビューティフル”が始まった瞬間に、僕は1973年当時へとタイムスリップしていました。
1973年5月というと、僕が東京生活を始めて1か月ちょいなのです。何しろ3月アタマにキングレコードが希望退職を募り、ベルウッド・レーベルを別会社にするという話が舞い込んで、慌てて希望退職に応じ都内に家を探し求めたりしたのでした。そして4月アタマには、豊島区雑司が谷の目白通り沿いに事務所が開かれ、僕はそこから徒歩5分のマンションに引っ越したのでした。
あまりの急な決定に、女房の仕事は大阪のまま。4月と5月は別居生活となりました。←週末には新幹線で往復してくれましたけどね。そんな中で、キング・ベルウッドレコード株式会社の会社登記が完了したのが1973年5月だったはず。キャロル・キングのセカンドLP「つづれ織り(Tapestry)」は、全米アルバムチャートで15週連続1位、その後も302週連続でトップ100に留まるロングセラーとなったのでした。
シングル「イッツ・トゥ・レイト」は新譜会議に“初回1000枚”として上程されていました。もちろんアルバムも似た数字でしたが、発売からしばらくしてどんどん売上を伸ばしました。僕は発売当時セールスでしたが、新規開店の店に「つづれ織り」を5枚も送ったのです。そしたら“なんでこのLPが5枚やねん”と叱られました。もっと送っとかんか、すぐ売り切れたわ、と。浪曲しか売らんかった店なのに勝手なもんです。
そんなキャロル・キングおばさまのLPは、しばらく我が家の定番でした。僕はLPのオートチェンジャーを愛用していたので、「つづれ織り」と「ザ・バンド」そしてビートルズのどれかを3枚仕掛けて、毎朝楽しんでいました。だから“ヒューティフル”が始まったときには、もう泣けて泣けて…。←実際には涙は溢れませんでしたけどね。
でも不思議なもんですね。少ししたら慣れてしまい、音質がどうもとか、画面がボケボケやなとか不平たらたら。それでも一昨日見た、ロバート・ロドリゲス監督の“全然知恵が足らんちゅーの”映画より、何百倍も楽しいのでした。観客としてジャック・ニコルソンとその恋人アンジェリカ・ヒューストンが来ていたというトリビアのおかげではありません。
とはいえ、セントラルパークに10万人を集めたコンサートです。途中で観客が照明のタワーなどによじ登り、キャロル・キングが“危険だから降りないと歌は続けられない”と説得する有様。あのころの若者たちはそういう連中ばかりでしたな(と自分のことは棚に上げておく。これもあのころの若者の常道=特権?)。
このコンサートは、彼女の5枚目のアルバム「ファンタジー」のプロモーションを兼ねています。僕は4枚目の「ライムズ&リーズンズ」までは知っているけれど、5枚目はベルウッドに移っていたからあまり聴き込んでいません。やはり「つづれ織り」ですよね。あのLPは文字どおり金字塔だと思う。
てなわけでアンコールに“君の友だち”を演奏し終わると、そそくさと用意した車で会場を後にするキャロル・キングが映し出されますが、それがまさに“Elvis has left the building”だったわけです。そんなこんなが実に楽しい、記憶の数々を次々と蘇らせる最高の娯楽装置として作用しました。
たかが16ミリと侮るなかれ、我々老人には記憶の反芻という奥の手があるのじゃ。それができるように、若者よ体を鍛えておくのだぞ。果てしなく遠い君の往く道で迷い込んで消えてしまわないようにな。長生きすれば、それだけの“ご褒美”が手に入るのだから。え?何もない? そりゃまた残念でございましたな。
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