「山の辺の道」とは、古代の大和平野において、三輪山と奈良を結ぶ、史料に出てくる中では日本で一番古い道路のことだ。
奈良盆地の東側をふちどる三輪山を始めとした山々の裾に沿って、遠くに、西の葛城や信貴の山々を望みながら歩く道。
現在、JRの万葉まほろば線がほぼ並行して走っている。
全長およそ26キロだが、その南半分である、桜井市の海柘榴市(つばいち)から、天理市の石上神宮までが、人気のハイキングコースとして紹介されることが多い。
このコースは丸一日あれば歩けるけれど、私は先に三輪山に登るため、二日に区切って歩くことにした。
午前中に三輪山登拝を終え、大神神社周辺の神社を一通りお参りして、いよいよ北の方角へ山の辺の道を進むことにする。
山の辺の道は、全コースを通して、畑、古墳、果樹園、集落、神社、畑、古墳、畑、集落、古墳、古墳、という感じに、まことに長閑な行程になっている。
山裾なので相応にアップダウンはあるものの、歴史や神話を感じながらのんびりと歩ける、快適なコースだと思う。
すれ違ったり追い越したりした人は、一日通してせいぜい十名ほどか。
色づいた木々の葉がだいぶ落ちて茶色くなった上を、どんぐりの直撃を受けつつ愉快に歩く。
この季節、辺りそこここの畑で枯れ草を焼いているので、香ばしい野焼きの香りがついてまわる。
奈良駅で電車を待つ際、近くに一人の女性がいた。
リュックに登山靴、分厚い靴下というしっかりした拵えを見るに、彼女も三輪山へ行くことは明らかだった。
三輪駅で降りて大神神社へ向かう際も、私のちょっと先をスタスタと歩いている。
今日はきっと、あのお姐さんとずっと同じ行程を歩くのだろうな。
想像通り、三輪山でも彼女は私の少し前を歩き、下山して膝を震わせながら荷物ゴソゴソやっていると、御朱印をもらいに社務所へ向かう彼女の姿が見えた。
山中の磐座やご神木の前では熱心に祈りを捧げ、幹を撫でたりしていたので、個人的な願い事があるのか、スピリチュアルな方向に関心が深そうに見えた。
(彼女は奥津磐座で何を思っただろうか。)
大神神社からしばらくの間、畑や田んぼを縫う未舗装の山道を歩くと、玄賓庵(げんぴあん)という真言宗の小さな寺がある。
そこに向かって気持ちのいい道を歩いていると、私のかなり前を歩いていたはずの彼女が正面から引き返してくるではないか。
こんにちは!今日は再々お会いしますね、と声をかけると、彼女も私のことを意識していたようで、頷きながら、この先、なんか小さな庵があって、あとは何もなさそうなんです、だから私、引き返してきちゃいました、と言う。
そのちょっと前に道が二手に分かれていて、多分こっちかな、と不安に思いながらも右の道を選んだのだが、もしかして違っていたのだろうか。
それを告げると、彼女も、私は元伊勢(もといせ)に行きたいので、あっちの方向へ行ってみます、と言って私とすれ違っていった。
「元伊勢」って、どこのことだっけ?
下調べの時にその言葉には出会っていて、伊勢神宮ができる前の時代に、斎宮がおこもりしていた神社のはずだが、さてどこだったかな。
何しろこの界隈は神社だらけなので、何がどんな処なのか、私の知識も曖昧だった。
まぁ、この先の「小さな庵」というのはきっと玄賓庵だろうから、そこに着いてから地図をよく見よう、間違っていたら彼女と同じに戻ってくればいいのだし、と思ってそのまま歩き続けた。
玄賓庵は、道鏡の甥(!)であるという玄賓僧都が結んだ庵で、ここを舞台にした「三輪」という謡曲があるという。
私はいまだ接したことがないけれど、詞章を読むに、三輪山に伝わる異類婚姻譚(三輪山の主は蛇)を謡った演目であるようだ。
(来年11月に、宝生能楽堂で公演があるようなので、行ってみるかもしれない。)
門をくぐって中に入ると、そこは無人の、山肌の崖に沿って建てられたお寺だった。たくさんの石仏、そして三輪山の麓らしく小さな鳥居とお社もあり、神寂びた雰囲気がいかにも山の辺の道にふさわしい。
途中で一組のグループが門から中を覗いていったけれど、ここはいいや、という感じで通り過ぎていった。
鳥の声と池の水音だけが聞こえる中、古ぼけた木のテーブルと丸田の椅子を見つけて、朝ひとつだけ買っておいたローソンのおむすびを食べ、三輪山でペットボトルに汲んできた薬水を飲んで休憩した。
今日初めて座った気がする。
さて、と地図を広げると、山の辺の道をひたすら単純に北へ向かうというコースは、この道で合っているようだった。
相変わらず「元伊勢」ってどこだっけ?と思いながら、次の目標、檜原神社を目指して歩き始めた。
昔むかし、崇神天皇は、一緒に祀っていたアマテラスとオオクニヌシを別の場所に分けて祀ることにし、アマテラスは紆余曲折を経て伊勢に祀るのだが、その前に鎮座していた笠縫邑(かさぬい)の伝承地が、ここ檜原神社なのだというようなことが書いてあった。
そうかここか。
ここが「元伊勢」だったのだ。
む、ということは、あのお姐さんは、引き返すべきではなかったのではないか??
彼女がちょっと心配にはなってきたが、独り旅になれた様子でもあったので、きっと別の方法を考えるなり、もう一度あのコースから私を追い上げてくるなりするだろう。
またどこかで遭遇するかもしれないな。
そこからの道は、実に爽快で愉しかった。
道端のそこかしこでは、近所の農家が、みかんや柿、柚子、野菜、きのこなどの農産物を、どれも一袋百円でほしいだけ買えるように置いている。
違う季節には、また違うものが売られているのだろうな。
袋にぎっしり入った小粒のミカンは、びっくりするほど甘くて美味しかった。
お、大好きな草餅もあるぞ。
歩きながらどうぞ、と書いてあるので素直に実行。
そしてなんと隣にレモンも売られていた。
前日、初瀬の川べりの民家でたわたに実をつけたレモンの木を見つけ、家の人がいたらぜひいくつか譲ってもらおうと思ったのだが、留守なのかそれが叶わなかった。
ああきっと、オオハツセワカタケルが、俺に逢いに吾妻からわざわざやってきた女にひとつやろうと下されたのだ、声をかけたまま忘れて婆ちゃんになってしまったアカイコの事を思い出しながら。
↓初瀬で見かけたレモンの木
この辺りはさしずめ古墳銀座で、右に古墳、遠くに古墳、振り返るとまた古墳という感じで、エジプトの王家の谷に例える人もいるくらいだ。
畑の間を歩いていて、ちょっとでもモッコリ、失敬、こんもりと盛り上がっているのを見つけたら、ほぼ間違いなく誰かの古墳だ。
こんな風に、歩いては写真を撮り、また歩いては買い食いし、農作業をする人に挨拶し、写真を撮りあうカップルのツーショットのシャッターを押してあげ、時々振り向いて背後の三輪山の美しい山容に見とれ、根性で坂を上り、万葉の歌碑に目を留め、と、愉しくて愉しくて、ひとつも疲れを感じなかった。
↓三輪山
「たまかぎる夕さり来れば猟人の弓月が嶽に霞たなびく」詠み人知らず
山の辺の道からは、常にこうして奈良盆地の向こうの二上山が望める。
相撲神社には唐突に徳勝龍の優勝記念碑が建てられていたが、そうか、彼は奈良の出身だったのか。
ミカン畑の中にポツンと残された神籬(ひもろぎ)の遺跡。
むかし、ここで神降ろしの祀りが執り行われていた。
そして、古墳。古墳。
また古墳。古墳。古墳。
お〜っと、うっかりミカン畑にしちまったよ。
里山らしい動物にも出会った。
名も知れぬ古墳に二羽のカラスが遊んでいたので、すわ八咫の烏の降臨かと目を凝らしてみたが、足は二本しか見えなかったのは実に残念だった。
生まれて初めて、イタチも見てしまった。
(いやこれは合成ですがw)
奈良滞在中は、毎日数匹の猫を見た。
人の住むところに、おネコ様あり。
川ではアオサギが滑空し、行燈山古墳(=崇神天皇陵)には、今まさにコウノトリが翼を広げて飛来して、墓を守りながらこちらを見下ろしていた。
どの動物たちも、私が遠くからやって来たことに、よしよしと言ってくれている気がして、こちらはますます上機嫌だ。
おお、おお、と上を見ながら歩いていたからか、ここでいつの間にかコースアウトしてしまい、予定になかった伊射奈岐(いざなき)神社に行けてしまった。
コースに戻るにあたって、砂利の上の落葉を清掃していた天皇陵墓のスタッフらしきお兄さんに道を教えてもらった。
カラリとしたお天気で、暑くもなく、寒くもなく、人のお喋りも聞こえない。
何もかも、嬉しくて嬉しくてしかたがない。
いくら人がいないからと言ってスキップしたらさすがに怪しいと思ってそれはしなかったけれど、ほとんどそんな気分で歩いていた。
まだまだ何時間でも歩けそうな気がした。
(1)こもりくひとり旅
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(2)ワカタケルの谷
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(3)こぐこぐ自転車
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(4)準備は愉し
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(5)神の坐す山
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(7)古墳か仏像か
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(8)後日談・東京国立博物館にて
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