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2020年10月31日11:56

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コロナ下の記念イヤーに聴くベートーヴェン全集

 いよいよインフルエンザの季節に入りつつありますが、今年はコロナの問題もあり悩ましい限りです。ベートーヴェン記念の年でもあったのですが多くの演奏会が中止の憂き目に遭い、寂しい記念イヤーになってしまいました。そんなわけで音楽はひたすらCDとナクソス・ミュージック・ライブラリーのお世話になる生活が続いていますが、今回は不遇な記念イヤーとなったベートーヴェンの交響曲全集から世紀の変わり目に収録された2つの交響曲全集、アバド/ベルリンフィル盤と飯守泰次郎/東京シティ・フィル盤のいずれも一回目の録音を久々に聴いてみました。
 この2つに共通するのは、当時話題になっていたいわゆるベーレンライター新版を全曲に渡って取り入れた演奏であることですが、それらの中でこの2組は必ずしも成功した演奏とは思えないものでした。アバド盤には1年後に、飯守盤には10年後に同じオケとの再録音(ただしアバドのは「第9」を除く8曲だけ)がありますので、それらとも比較しつつ聴き直してみようと思ったのです。
 アバド盤と飯守盤の最大の違いは前者がセッション録音、後者がライブ録音である点です。もちろんバーンスタイン/ウイーンフィルによるDG盤に始まった修正は同じDGによるアバドの再録音のみならず、別レーベルの飯守の2つにも当たり前のものとして加えられてはいるわけですが、それでもアバドのセッション録音の完成度の高さには歴然としたものがあって、世界最高水準のオーケストラでこういう方式を採れば技術的にはどんな結果が待っているかを見せつけるとも思い知らせるともいうべきものに仕上がっています。ただあまりにも徹底した技術面での完全性の追求は音楽を航空機のごとき流線型のものへと至らしめていて、聴いているとどうしても、ベートーヴェンは本当にこれらの曲をこういうものとしてイメージしていたんだろうかという疑念を覚えてしまうのです。そういう意味では映像用にライブ収録された再録音の8曲のほうが違和感はそれほど感じずにすむのですが、とはいえその両者における音楽観のようなものに差異がないとも感じられる以上、セッション録音によってもたらされた違和感を払拭するところまではいかないもどかしさも残ってしまいます。あるいは再録音しか聴いていなければ、こういうことは感じずにすんだのかもしれないのですが。

 飯守の初回録音は日本で初めてなされた小編成と最新の楽譜による全集録音だったので期待も大きかったのですが、残念ながら結果はなんとも芳しくないものでした。我が国ではCDの時代に入る直前の70年代後半にホグウッドやアーノンクールといった人々の録音で古楽派として知られるようになった演奏スタイルのわけですが、当時は老巨匠たちの限界まで遅いテンポによる深沈としたといえば聞こえはいいですが、個人的にはこんなテンポでこれは発想された音楽なんだろうかという違和感がどうにも拭えない演奏ばかりだったので、僕としては歓迎しつつも周囲のファンはあまりにも異質な演奏にアレルギー的な拒否感を示していた光景も忘れられないものでした。とはいえその時から今回の飯守の録音までに流れた20年の年数の間には海外のみならず日本におけるそんなスタイルの演奏もずいぶんとこなれていましたし、当時進行中だった沼尻盤のように小編成ながらもテンポは遅めというファンの好みに歩み寄った妥協案めいた演奏も出てきていた時期でしたから、まさかあの時点であんな苦み走った演奏を耳にするとは予想もしていなかったのです。
 この人のCDは当時まだドヴォルザークの「8番」しか持っておらず、それが骨太で推進力のあるいい演奏だったのでどうしてこういうことになるのか逆に知りたいと思いCD店を探してみたら、モーツァルトとブルックナー数曲ずつという状態だったので聴いてみると、いずれも往年の巨匠たちの演奏スタイルそっくりで、明らかにベートーヴェンがふだんのやり方を廃したスタイルだったことがわかったのでした。
 この録音は当時の日本人指揮者にとってベートーヴェンを新版で演奏することが避け難いものだったことを証言するものといえそうですが、そういうスタイルに共感できない人まで無理に演奏しなくていいのにと、自分がいいと思うスタイルだからこそ感じさせられたものでした。古楽の運動とは今になって見れば、第2次大戦への総括として起こった初期ロマン派から古典派の音楽にまで逆流していたワーグナーの影響の洗い直しという面もあったのであり、もはや僕にとってしずしずと儀式めいて進むベートーヴェン演奏に正当性を見いだすことはかないませんが、あくまでそれは僕にとっての話であって、少なくとも旧スタイルの演奏を支持する人がいる限り、それらも質の高い演奏で提供されるのがベストだと思ったのです。だから飯守/東京シティPOのコンビが今度は往年の鬼才指揮者マルケヴィッチが校訂した楽譜を採用しつつも、近現代の楽曲に強烈なシンパシーを見せていたマルケヴィッチとは似ても似つかぬ後期ロマン派趣味丸出しの解釈を誰はばかることなく歌い上げる新盤に接したとき、ああ、よかったなあと心から思ったのでした。

 今年の夏はマスクを外せないという未曾有の経験を強いられて消耗も激しかったですが、やっと秋も深まってきたのでそろそろ中断しているメンデルスゾーンのシリーズも再開したいと思っています。

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