mixiユーザー(id:77262)

2018年10月04日07:14

73 view

坊床(再訪、その2)

平成30年9月9日(日)、島根の廃村探索、
坊床(ぼうとこ)は強い雨。到着第一声は「探索はやめましょうか」だった。
かといって、ここまで来て引き返すのは、どう考えてもナンセンスだ。
覚悟を決めて「行ってきます」といって、坊床分校跡には単独で向かった。

分校跡の碑は、三差路を左に曲がると見つかる大きな広葉樹の下に建っているという。
1年前にも来た三差路付近、心当たりの広葉樹を探したが、それらしきものは見当たらない。
10分ぐらい探索したが、「これはダメだ」と一度クルマに戻った。
答を知っているおきのくにさんに同行をお願いし、再度分校跡へ向かう。
草深い時期、雨の中という悪条件の中、
「どうも三差路は、二重になっているようです」とおきのくにさん。
もうひとつの三差路は、素人目にはまずわからない。
背丈ほどある草むらをかき分け、先へと進むと、
目印の広葉樹が見えてきて、その樹の下には草に埋もれながらも坊床分校跡の碑が建っていた。

東比田小学校坊床分校は、へき地等級不明、児童数9名(S.37)、昭和37年開校、昭和46年閉校。
碑には「平成3年5月 坊床山記念事業実行委員会」と記されていた。
おきのくにさんは「この頃に分校跡の校舎は取り壊されたのではないか」と話された。
広葉樹は、閉校の頃の分校校舎の写真にも写っている。

「ここに分校があった」ことを力強く示す跡地の碑ではあるが、
現状のままだと、訪ねる人は誰もいなくなってしまうことだろう。

 画像1: 坊床分校跡・ついに跡地の碑が見つかった
     (画像は、草を倒した後のもの)

 画像2: 跡地の碑は、広葉樹の下にある

  (2018年9月 9日(日)午前10時20分〜10時30分頃)



1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年10月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031