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2017年09月10日16:40

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加藤秀俊の「暮らしの思想」を読んだ

加藤秀俊の「暮らしの思想」中公文庫 昭和51年 を読んだ。風呂・贈り物・日記などについて日本に独特のものがあるのを書いている。

 燈火としての火についても、日本人はポータブル化を考えた。ちょうちんそれ自体は中国大陸の発明である。タイマツなどよりは、はるかに洗練されかつ危険を伴わない燈火の形式であった。それは今日の懐中電灯の先行形態とでもいうべき発明だが、これに匹敵するものは西洋文化にはなかったようである。

 一家ダンラン、ということばは、いうまでもなく家族がおなじ火を囲んでいることを指した。ヨーロッパやアメリカの住宅で中流以上の家にはたいてい暖炉がある。今日ではちゃんとセントラル・ヒーティングがゆきとどいているにもかかわらず、ときどき暖炉に薪をくべて日の共有の事実を演出する。同じ火のぬくもりと光をうけることのできる場を家庭の象徴とすることは、たぶん東西共通なのである。

 人形とおもちゃの関係は、呉服店と百貨店の関係に似ている。日本の老舗百貨店は、もともとが呉服店であった。たとえば三越・白木屋などの正式の名称は「呉服店」であった。しかし時代は変わり、かつての主流商品であった呉服は、今や百貨のうちのひとつであるにすぎぬ。おもちゃの世界もそうだ。たつての中心的商品だった人形はひろい意味のおもちゃの一種というだけのことになってしまった。売り場の面で、おもちゃ売り場、人形売り場がわかれていることが、わずかにかつての人形文化の残照を感じさせる。

 趣味やお茶や家具など、日常だれも持っているものについて、深い考察をしている。




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