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日記一覧

斎藤茂太・北杜夫の「この父にして」昭和55年 講談社文庫 を読んだ。精神科医で日本の歌壇に不滅の足跡を残した斎藤茂吉の素顔を2人の息子が対談で語っている。箱根の山荘の父から手紙が来て、書斎の何段目の左から何番目にある本があるから、それを届け

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草津チェンバーオーケストラの演奏会だった。指揮 宅間司 で ブラームス:悲劇的序曲ブラームス:大学祝典序曲ブラームス:交響曲第2番 だった。 大学祝典序曲と交響曲第2番はびわこフィルにいたときに弾いた曲だったので、懐かしく聴いた。(悲劇的序曲

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今は日本に永住している95歳のドナルド・キーン氏が書いていることに驚いた。キーン氏がケンブリッジ大学に奨学金をもらって留学し、そのかたわら日本語を教えることになったとき、そこでは古今集の序から教えることになっていた。 現代日本語の簡単な言葉

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井の頭恩賜公園
2018年05月22日20:32

東京に出たついでに、井の頭恩賜公園に行ってみた。井の頭池が中心のきれいな公園で、ボートを漕いでいる人、写生をしている人がいた。

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奉天会
2018年05月22日20:12

第66回奉天会が東京であった。旧奉天(現在の瀋陽)に在住した人の集まりだ。一昨年は75名だったが、今年は48名だった。だんだん減っていくのは仕方がない。今年は大正3年の列車時刻表から、新橋をでて下関、関釜連絡船にのり、奉天、哈爾濱から西比利

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寮歌合唱団の練習
2018年05月09日21:21

寮歌合唱団の練習だった。この前の練習が不十分だった3曲をやった後、福岡高校の「銀箭清く」(昭和5年)と松本高校の「空虚なる」(昭和16年)を練習した。

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新田次郎の「富士山頂」文春文庫 1974年 を読んだ。新田次郎は本名藤原寛人、気象庁に勤めていた。彼が小説を書き始めたのは夫人の藤原ていが書いた「流れる星は生きている」がベストセラーになったためだ。彼が富士山観測所に勤務した経験をもとにして

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旧勤め先を訪問
2018年05月02日21:01

40年前に勤めていた国立富山商船高専(今は富山高専の一部)に、富山に行く用事があったので行ってみた。私が勤めていたときは男子校、全寮制だったが今は女子学生もいるし、全寮制ではなく通う学生もいるので、がらりと雰囲気が変わっていた。当時はコンピ

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