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2017年06月08日07:13

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レイン・ソング




ビートルズのノー・リプライである。

この曲はフォー・セールという割と地味なアルバムの冒頭に入っているんだけど・・・
僕はこのジョンの声が大好きだわーい(嬉しい顔)

なんというか・・・リアリティを感じる。
そのリアリティっていうのがちょっと奇妙な感じがして・・はて( ̄ー ̄)?と思う。

ビートルズを知っている人ならば、このアルバムがどういう状況で作られたとか・・・当時、ビートルズが置かれていた状況がどうだったのか?とかわかると思うので・・・
このジョンの掠れて疲れたような声について彼是と思いを馳せることが出来る。

この曲をレコードで聴くと、本当にジョンが目の前で歌ってくれているような気分になるわーい(嬉しい顔)
とはいってもそれは50年以上前のジョンの声である。

エヴァー・グリーンとはいったい何なんだろう( ̄ー ̄)?


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結局、写真というのは瞬間しか写らない。

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撮った瞬間からどんどんそれは過去へと流されてゆく。
現在のリアルからどんどん逸れて行ってしまう。

例えば被災地には高校生が被災地を耕す、プロジェクトがあって・・・

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そこで収穫された稲わらで素晴らしいアート作品まで作ってしまった。
その作品のリアリティもさることながら・・・例えばそのプロジェクトに携わった高校生活ってやつはとても「リア充」な青春なんではないか?とふと思ったわーい(嬉しい顔)

蛇足ながら、このプロジェクトのリアリティとは卒業システムにある。

秋元輪さんがAKB4輪に採用したレイのアレである。


例えば、素晴らしい水田を写真に撮ったところで、その水田を作ったのは僕ではないし、その収穫した後の稲わらで作った作品に僕は携わっていない。

つまりそのリアリスティックで美しい風景や作品に、自分自身何ら加担していないのだ|( ̄3 ̄)|

そんなわけで僕は毎朝、近くの公共公園を自慢のトングで掃除している。

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それはどういう事か?というと、かなり奇妙なやり方だけど、自分の中の生活というリアルとの折り合いのつけ方なのだわーい(嬉しい顔)


およそいい歳をした社会人の大人が街をチャカチャカ写真を撮りまくってる姿ははっきり言って変だ( ̄ー ̄)

最近はスナップする時にいつも持ち歩いている。
犬の散歩のときにふんを片付ける道具と一緒だ。

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アスファルトの油染みを見つけたり・・・

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落ち葉に兎の顔を見つけたり・・・

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はたまた自画像まで・・・・

リアリティというものは共時性という公共の中のリアリティもあるし・・・
個人の中のそれもある。

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あまり好きな言葉ではないけど「リア充」が大事なんだろうなんて思う。

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ちょっと関係がないような気がするけど・・・大好きな絵画がある。
この海の描写が好きで・・・この絵を見てると青森の海を観たくなる。
それもカラッと晴れた空の下ではなく・・・出来れば曇天の下の・・・

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自慢のトングをもって行ってこようかなあ( ̄ー ̄)?

トングは今の僕にとってリアルに繋がる魔法の杖のようなものだ。

言い訳にはなってしまうが、カメラは震災当時は僕にとってはリアルに繋がるアイテムだった。

ところがいつまでたってもリアルなんて掴めやしない。
そもそも社会性を逸脱した行為をずっと続けながら、社会的なリアルなんて掴めるはずもない|( ̄3 ̄)|

いつまでも卒業出来ずにリアルのまわりを彷徨くだけだ。

それを自嘲するほど優雅な気分ではない。

リアルに汗を流している人を目の当たりにしているからだと思う。

高校生達の再生プロジェクトしかり、真夜中の被災地の建設現場しかり・・・

そして、公共公園を掃除しているのは僕だけではない。




青森には梅雨がないという。

だけどこの時期に必ず聞きたくなるのがレッド・ツエッペリンのレイン・ソング・・・



素晴らしい曲だと思う。

そしてこの曲は僕の中の雨の印象とリアルに呼応し、時に泣きたくなる。


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