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2017年05月31日21:36

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太田愛の小説作品:その4

 ここまで『犯罪者』『幻夏』『天上の葦』の3作が3楽章構成の器楽曲にも似た原理により密接に関連づけられていることを見てきたわけですが、実はこの手法はシリーズものとしては例外に属するものです。なぜならこの方法は作中における余白が少なくなるためシリーズを長く続けることが難しくなるからで、続けることを優先するならこれほど強靱な一体性を持たせずにバリエーションが生じる余地を残したほうがはるかに有利なのです。にもかかわらずあえてこの手法が採られているのは、このシリーズを長く続けることを作者が目指していたのではなく、必要なことをこの3作で語り切るのが目的だったからに違いありません。ではなにを語ろうと、なそうとしたのか。それは虚構を通じて現実の巨悪を暴き出し警告する。できればそれに抗するよう鼓舞する。それがこの3部作の流れから窺える狙いです。戦略目標といってもいいかもしれませんが、対象が現在まさに進行中の事態だからこそ、5年足らずで3部作の完成が目指された。僕はそう感じるのです。
 だからこのシリーズでは、巻が進むごとに軸足が現実世界へと移されてゆく構成になっています。同時に3作目において、事件の解決が最も容易なものとなるようにも。
 1作目に登場する滝川のような暗殺者は現実にいるのかいないのか。いないはずはないような気がしつつもこんなゴルゴばりの存在として実在しているのかは正直疑問でもあるわけで、3作目の公安に比べれば少なくともずっと虚構性が強く感じられる人物なのは間違いありません。しかも1作目で起こる殺人はラストで滝川自身が暗殺されるのを除く全てが彼の手によるものであり、彼に捕まることは真崎のような解剖同然の死を意味しています。目撃者として狙われている修司はもちろん、相馬も鑓水も絶えず死と隣り合わせの状況にあるのが1作目の最大の特徴で、中でも鑓水は自家用車中の磯部と対峙した際、すんでのところで邸宅に連れ込まれ嬲り殺しに遭いそうになりました。あの場面は3部作全体を通じ最も心臓に悪いシーンの一つにさえ挙げられるのではないでしょうか。まさに滝川こそは1作目のスリルや恐怖の文字どおり焦点となっています。

 だからこそ3作目では、死を象徴しつつ3人に迫るこのようなキャラクターは排除しなければならなかった。それも可能な限り自然な形で。ゆえに2作目の段階で、滝川のような人物は早くも登場しなくなったのです。


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