mixiユーザー(id:7656020)

2017年05月28日05:10

170 view

太田愛の小説作品:その3

 まず今回は、この3部作に感じる器楽曲のそれにも似た構成の特徴について記してみたいと思います。

 この3部作は修司、相馬、鑓水の3人組が共通の主人公として活躍するシリーズ構成になっています。それだけでなく2作目の『幻夏』以降はその前の作品の主題やモチーフが回帰したり対比されたりして有機的に構成されています。そして3作目の『天井の葦』に至り、多くのモチーフが解決され尾を引かない形で終結する。それが3楽章形式の器楽曲の構成にあまりにもよく似ていると僕には感じられるのです。シリーズものなら何でもこういう合理性や、そこから生まれる機能美を保証されるわけではありません。このシリーズが骨格の水準でそれだけの達成を示していることが今回このシリーズを読んだ経験から得た最大の収穫とさえ思っています。
 だから当然、3人の主人公も含めた全てが初出となる1作目の『犯罪者』が最も複雑な構成を持つと同時に、2作目や3作目に再帰する要素を提示する役割と、シリーズを通じた基本のテンポ感を受け手に印象づける役割などを負うと同時に、この作単体で完結せずに後続の作を呼び込むことも求められる。『犯罪者』におけるめまぐるしい展開は暗殺者滝川の存在により3人組が単に謎解きに専念するに留まらず、絶えず命の危険にさらされ続けることで煽られているのが特徴で、これは後続の2作にはないものです(ただし3作目では公安からの逃亡劇という形で再帰してはいますが、主に2つの理由から命までは狙われていない。むろん相手が公安という実在する組織である以上、仮構としての暗殺者と同レベルの殺人者には設定できないのが2番目の理由ですが、1番目の理由は後で述べたほうが解りやすいと思いますので今は触れずにおきます)
 ゆえに最もテンポの速いのが冒頭楽章にあたる『犯罪者』で、緩徐楽章にあたる『幻夏』は絶えず過去が回想されることもあって最も遅く、最終楽章にあたる『天上の葦』は興奮よりも広がりを重視するタイプのフィナーレとしての機能を負うがゆえに冒頭楽章よりはテンポが遅い。そういうタイプの3楽章楽曲のテンポ構成と同じ原理の下にこの3作は位置づけられているのです。

 真崎が計画したものの滝川に殺されたため頓挫しかけた計画を3人組と中迫がその志を受け継ぎ完遂しようとする『犯罪者』は現在の犯罪の物語ですが、2作目の『幻夏』における冤罪は3人が気づいたときはもう終わってしまっていた過去の犯罪であり、3人は犠牲となった一家のただ一人の生き残り尚が一矢報いんと計画した誘拐殺人を阻むことしかできません。3人組が追われる立場にならないこの作はそれゆえ追い立てられるような緊迫感の代わりに変えようのない過去に由来するやるせない悲愁を基調とする一篇の哀歌となっており、3部作で最も沈み込む短調のまま終結する楽章にもたとうべき性格のものになっています。そして『幻夏』でやるせない敗北感めいた思いをかきたてられた読者を前に、これからなされようとする仕組まれた冤罪、つまり未来の犯罪を阻むミッションに挑戦しそれに成功するのがフィナーレにあたる『天上の葦』の役割でもあるというわけです。

 このフィナーレの最大の特徴は、これだけが作中で殺人事件が起こらないことです。作中で死ぬのは正光と喜重の2人の老人だけで、しかも前者は2巻本のいきなり冒頭で空を指差しながらの持病の発作で、そして後者は全てが解決した後に唯一読者の目に示されていなかった最後の真相を手紙に書き残した後に物語を結ぶように舞台から去る。1作目や2作目にはなかった協和音での結びにも似た強い完結感を2人の老人の死は醸し出しています。2作目で解決できなかった冤罪と同様の構図の仕組まれた犯罪を阻み、しかもその首謀者たちに最も大きな打撃を与えることに成功した上で。『幻夏』が『犯罪者』の翌年には早々と出版されたのに対し『天上の葦』の発表は『幻夏』から3年半たっていますが、『天上の葦』とのこのような位置関係を思うと『幻夏』の特徴は次回作とのコントラストを周到に用意するものとして作られたと考えざるを得ませんし、その『幻夏』が『犯罪者』のわずか1年後に書き上げられていることを思えば『犯罪者』の執筆時に『幻夏』の構想がなかったとは考えにくい。ゆえに『犯罪者』の執筆時点ですでに『幻夏』も『天上の葦』も少なくともこういう巨視的な位置づけとしては構想されていたものと僕は感じるのです。そしておそらく、こういう3作が相互に密接な関係性を持つようなものとしては、4作目は構想されていないのではないかとも。3作目の強い完結感が最大の理由ですが、それを補強するものとしてはあと2点。すなわちこの3作で3人組のそれぞれの過去が彼らの世界との向き合い方の拠り所として明らかにされたことが1点と、現在の犯罪を扱った1作目の作中時間が約1年であるのに対し、過去の犯罪を扱った2作目の作中時間が23年、そしてこれから起ころうとしている犯罪を阻む3作目の作中時間が2人の老人の過去を取り込む形で70年余りにまで拡張された結果、もはや人の一生に収まる歳月の上限にまで達していることの1点がそう思わせるのです。

 ではなぜフィナーレたる『天上の葦』では作中で殺人事件が起こらないのか。この3作を構想の水準で考える上でこれは極めて重要な意味を持っていると僕は考えています。


その4 →
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960720991&owner_id=7656020



← その2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960614572&owner_id=7656020

0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年05月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031