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2017年02月03日16:41

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690円散髪と図書館

明日、詩人会議の新人賞の選考会議があるので、昨日作品を読みに行った。行く途中、駅のトイレで鏡を見たら、強風のせいもあって、髪がすごいことになっていた。正月も無視して床屋へ行かなかったからなぁ、と反省。

その反省を踏まえ、本日は午前中散髪に行く。千円床屋は普及してきたが、最近我が家が使っているのはさらに価格破壊の690円である。待たされると思ったが案外早く終わった。待ち時間に山本周五郎の『明和絵暦』を読み終わる。家に帰って着替えてから気付く。そうだ、図書館に予約していた本が来ているのだった。床屋の帰りに行けばよかった。食事後、しかたなくまた着替えて図書館へ。

借りてきたのは『現代ゲーム全史--文明の遊戯史観から』(中川大地著)。小難しいことを書いてるんだろうと思うが、たまにはこういうのもよい。というより、こういうのはほとんどないので貴重である。序章は予想どおりホイジンガ『ホモ・ルーデンス(遊ぶ動物としての人間)』から始まる。私はとても感銘を受けた本なので共感できる。途中でホイジンガの批判的継承者たるロジェ・カイヨワの『遊びと人間』を出して、その分類体系を踏襲すると宣言している。その本は読んでいないので、今度読みたい。

第一章は戦争とマンハッタン計画を初めとする核開発や、東西冷戦の話がひたすら語られている。コンピュータと軍事は切り離せない関係にあるからだ。「Tennis for two」という(一応の)最初のコンピュータ・ゲームを開発したウィリアム・ヒギンボーサムはかつてマンハッタン計画に動員された化学者のひとりであったが、後に科学の軍事利用に反対し、核兵器の最終的廃絶等を目指したアメリカ科学者連盟(FAS)の設立に尽力、初代会長となった人物である。だが彼が着任したブルックヘブン国立研究所が行なっていたことは、原子力の「平和利用」活動などの美名とは裏腹の内容だった、と著者は記している(このあたりの詳細に渡る舌鋒は鋭い)。ヒギンボーサムがそのことにどこまで自覚的であったかはわからないが、その矛盾の中から、ゲームが生み出されたのであり、人間の「遊び」とした心の奥底に、科学が軍事利用されることへの可能なかぎりの抵抗があったのではないか、と推測している。

娘がヒギンボーサムの伝記を書いているが、その中に彼が、自分の人生が核不拡散に努めた本来の仕事ではなく、ビデオゲームの先駆的発明者として記憶されるようになったことについて嘆いていた、とあるそうだ。だがそうだろうか。欺瞞に満ちた核科学の歴史の1ページに収まるよりも、ビデオゲームの創始者と言われることが、「ホモ・ルーデンス」であり続ける人間に、いかに大きな喜びを与えたかが正当に評価される時代がまもなく訪れるのではないだろうか。


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