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2016年12月22日11:42

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涙の「ボーロ!」

今朝のNHKで記者が選んだ今年の人気投稿動画のひとつが「ラストボーロ」であった。生後8カ月の幼児(女の子)が卵ボーロ好きで、最後のひとつを楽しみにとっておいたのを母親が冗談で食べてしまうと泣き出し「ボーロ!」と悲しみの声を上げる。もう一度もらった時に、涙いっぱいの顔が満面の笑みになるのも可愛い。しかし、それも大事にしすぎて落としてしまった時のなんともいえない表情。不幸と幸福が次々と交代する。何かを好きであるということをこんなに真剣に、率直に表す姿に感動するのかもしれない。実は私も卵ボーロ、大好物なのだ。

好物に対して「すぐ食べる派」か「最後まで取っておく派」か?という話題はよく出るが、人間はなぜ「取っておく」ことに喜びを感じるのかを考え始めると不思議である。食べる=快楽であるのは分かりやすい。しかし、なぜそれを引き伸ばそうとするのか。それによってもっとおいしくなるのか。

食べてしまえば、楽しみや喜びは終わってしまうことを生後8ヶ月の幼児は知っていたのだろうか。一番最後までそれを残しておけば、その間だけは喜びがまだ持続すると。幼児はある時期、何でも口に入れたり飲み込んでしまったりするので大変である。あらゆるものは味わわれる価値がある、とでもいうように。「これを食べたらおいしかった」は感覚であるが、「あれを食べたらおいしい」との確信は過去の体験に基づく思惟である。さらに「卵ボーロはおいしいから最後のひとつは取っておこう」はかなり高度な思惟である。だから母親に理不尽に奪われた時、「ボーロ!」と言語によって涙の抗議をしたのである。

おいしいものはすぐにも食べたい。しかし、それを食べてしまったら明日には食べるものがなくなるという未開時代の記憶がDNAに刻まれているのかも知れない。「モズのはやにえ」とは違う、と簡単に切り捨てることができるのかも疑問だ。モズたちは親に教わることなく本能によってそれを行なうのだが、人間たちも教えられないのに「取っておく」ことの重要さを本能のように受け継いでいるように見える。一番好きなものは最後に食べなさいと親が教えることはない。しかし子どもたちの一部は誰に教わるのでもなくそれをする。最後のひとつのおいしさを味わおうと、大事に脇にどけて「取っておく」のである。

この動画のヒロインを可愛いいと思うのは、もしかすると、そうした私たちの中に眠っている何かを掘り起こしてくれるがゆえではなかろうか。動画サイトで「ラストボーロ」と検索するといくつも出るが、NHKのナレーション付きのものがよくできている。その並びに「ラスト・ボーロから10ヶ月」というのがあり、三つ残ったボーロのうちのひとつをお母さんに上げるシーンがある。「みんなで食べようね」と言っている。これも可愛いが、しかし、最初の涙の訴え「ボーロ!」の感銘には届かない。泣き顔も笑顔もこんなにヤバンで美しい。




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