mixiユーザー(id:77262)

2016年08月08日07:07

224 view

椿(その2)

平成28年7月30日(土)、岐阜県の廃村めぐり、
山県市(旧美山町)の廃村 椿(つばき)、
縣神社からは、車道に戻らず、脇道を歩いてみた。

先の作業小屋に人の気配がしたので、一度足を停めて
「どうしましょう」とミナカミさん夫妻に話すと、
「ヘヤネコさん的にはGOでしょう!」とのお返事。
地域の方は、60代ぐらいの男性(Tさん)で、
意を決めて「こんちわー」とご挨拶すると
Tさんは朗らかに対応してくれた。

「ここは、こんな山のなかやけど、太閤さんの頃から天領でな」
と、Tさんは話された。
先の離村記念碑の
「天正17年(1589年)頃幕府領となり」
という記述とつながる話だ。

Tさんと分かれてからは、さらに川の上流側に歩いて、
分校跡を目指した。
北武芸小学校椿分校は、へき地等級1級、児童数33名(S.34)、
明治6年開校、昭和46年閉校。同年椿は集団移転により閉村。
分校跡の入口には見慣れない記念碑が建立されていた。
「いつできたものだろう」と裏面を覗こうとすると、
碑の真下から複数の蜂が飛んできたので、
「きゃー」と叫び、急いで離れた。
幸い、刺されるなどの被害はなかった。

分校跡には錆びたブランコ、ジャングルジムなどの遊具が残るが
草藪は深く、近づく気にはなれない。
「戻りましょうか」とゆるい坂を下ると、前をゆくみなみさんが
一人巴投げを決めて、脇の草むらに転がり落ちた。
「大丈夫かー」と声をかけると、ダメージはない様子だった。
前を歩いていたよっぱさんは、何があったのかわからなかったことだろう。
ケガがなかったのは何よりだ。
蜂のことも含め、緊張感が伴う分校跡だった。


 画像1 : 椿分校跡の碑
  「村影弥太郎の集落紀行」Webによると、
  平成19年8月建立とのこと。

 画像2 : 椿分校跡碑の真下の蜂の巣
  こんなものがあるとは、思いもよらず・・・
  春の茂みが薄い時期に再訪したいものだ。

 画像3 : 分校跡−離村記念碑間の六地蔵
  車道沿いに、6体のお地蔵さんが並んでいた。

 (2016年 7月30日(土)午後3時35分〜3時50分頃)

8 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年08月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031