山岡和範さんの訃報を新聞で読んだ。昨秋、自転車から落ちて大怪我を負い入院したと聞いた。それを教えてくれた宮本勝夫さん(千葉詩人会議の会長)は連日病院に通っていたが、その後話を聞いていなかった。ただ、体調はお悪いのだろうとは想像していた。
なぜなら、彼が体調がよければ必ず来る詩の感想葉書がその後一通も来なかったからだ。
私のこれまでの生涯で、最もたくさんの感想葉書をもらったのが山岡さんであった。これは私に限らず、詩誌を発行している人たちに共通した体験だろう。私の場合、同人誌『冊』と千葉詩人会議の『澪』に必ず丁寧な感想をいただき、詩集に対してもそうだった。
ヒロシマ出身で峠三吉に誘われてサークル詩誌『われらのうた』に加わり、のちに増岡敏和さんが中心だったサークル『日曜』のメンバーだった。こうした話は私より詳しい方がいらっしゃることだろう。私には感想をいつもくれる方だったということと、時々お会いすると稀に見るよい人柄の方だったというのが最大の関わりである。
絵に描いたような温厚で誠実な人であった。儀礼で言うのではなく本当にそうだった。誠実な人、と書かれる人は偉大な詩を残さないことが多い。真面目だからいい詩が書けるわけではないからだ。しかし、彼は単純だが奇妙に心に残る詩を時々書くので、私はとても好きだった。真面目な教師であり、「教え子を戦場に送るな」と「核兵器廃絶」が生涯の願いだった真面目な社会活動家であり、謙虚な人柄の詩人だった。しかし彼の中には詩人にならなくてはならなかった外からは知りえない何かがあったように思える。
忘れられない詩に9歳でなくなったお孫さんの詩があるが、彼女も自転車で転んで亡くなった。詳細はわからないが彼も自転車から落ちたのが原因のひとつだと思われるので、同じ血が流れているのだろうか、と不謹慎に考える私である(これを書いたあと、知り合いに電話する機会があり、訊いたところ癌とのことだった)。ご冥福をお祈りする。
納骨
山岡和範
お墓の蓋が持ち上げられた
二十五年前に死んだ息子の骨壷が見えた
いまその母延子の新しい骨壷が
墓守の手で横に安置された
ぼくの連れ合いの延子は死んで息子と再会した
「死んだら天国 おまえは地獄だ」
それは子どものころ聞いた
生きている人の言うことばだ
死んだ人は残った人の心に寄り添ってくるが
死んだ人は焼かれて骨と灰になる
死んだ人は遠い空の星になったり
地獄の鬼に焼かれて舌を抜かれたりはしない
延子は焼かれて骨になって骨壷に入れられて
ぼくもいつかその横に座るのだが
墓守はその空間を残して石の蓋を閉じた
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