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2015年09月07日00:35

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「玄奘」展とカルチャー講座(2)

学芸員さんの解説によって展示を見ます。入澤先生も後方にいます。
まず玄奘はどんな人だったのでしょうか。ということで玄奘のいくつかの顔を表すように展示されています。
旅をする人であり、翻訳家。そして法相宗の鼻祖。法相宗を起こしたのは玄奘の弟子の慈恩大師なので、玄奘は「開祖」ではありません。開祖のさらに先、ということで「鼻祖」。
そして「辣腕の政治家」。…え?
高昌国王麴文泰はもちろん、突厥で、インドでヴァルダナ朝の王ハルシャ・ヴァルダナ、そして唐の太宗、と時の権力者の援助を受けたのは単に学識豊かな高僧だから…というだけでは不十分。世界情勢を見通す情報力や洞察力、相手から必要なものを引き出す交渉力あってのことだということです。

まず玄奘がインドに行く前に勉強した学問とは…ということで、イメージがつかめるよう、当時学んだであろうと思われる仏典を積み重ねたものが展示されています。さらに玄奘が参考にしたはずのインドへ行った先人たちの書物、法顕の「仏国記」に宋雲の「宋雲行記」。
もちろん、玄奘当時のものではなくずっとのちの写本ですけれど。

そして旅立つにあたって、必要なものは?
ガイドブックとしては先人がインドへ行ったときの書物があります。では、旅行の費用はどうしたのでしょうか。高昌王国からは高昌王が用意してくれたでしょうけれど、そこへ行く前はどうしたのか…それは今もわかっていないのです。

それから玄奘の伝記として講座で挙げられていた三つの書物。慈恩伝、続高僧伝、大唐西域記。展示されているのはいずれも平安時代の写本です。
慈恩伝には玄奘の決意を表す「不東」という言葉のある部分が展示され、矢印が付いています。
つまり、経典を持ち帰るまでは決して帰らない、ひたすら西へ向かって行くと言う決意です。

ここで入澤先生の解説。
もしみなさんが師匠と思う人の伝記を書くとしたらどうするでしょう。
きっと師匠がどんな業績を残したか、素晴らしい人のように書くでしょう。おそらく批判的なことはあまり書かないでしょう。「慈恩伝」はそういった書物です。なので全面的に信頼するというわけには行かない部分があります。
しかし「続高僧伝」は玄奘よりも5歳年上の同時代の僧侶の書いたもの。なのでこちらの方がかなり公平に書かれているということです。
例えば、玄奘は経典翻訳の先人である鳩摩羅什の翻訳に批判的で、鳩摩羅什が訳した経典を使うことを許さなかった。「それはおかしい」と指摘されて改めたそうですが…。

それから藤田美術館の「慈恩伝」の絵巻。
そして当時の中央アジア関連のもの。
コータン語文書、トルファン出土の連珠文の見える錦、仏頭がいくつか。
ガンダーラ仏も仏頭や仏伝彫刻など。大ぶりの仏頭は、斜めから見ると鼻の筋がギリシア彫刻のようです。

また、明治の初期に描かれた「五天竺之図」がおもしろいです。古代インドの世界観に基づいて、中央に須弥山、その下にインド大陸の逆三角形に近い形でインドの地図が書いてあるのですが、玄奘の行程がたどれるようになっているのです。これが床にでっかく印刷されていて、踏みながら(?)細かい所まで見られるようになっています。

東千仏洞の猿を連れた玄奘が見られる水月観音図は模写が展示されています。

それから玄奘が唐に帰ってきてからの功績を表す展示になります。
まず玄奘は当然経典を持って帰ってきましたが、仏像も少し持って帰ってきました。その中に釈迦如来像もあったらしい。それはウダヤナ王の故事で、ブッダが摩耶夫人のいる忉利天に行ったときにその不在が寂しくてブッダの似姿を写した像を作らせた…という話があります。それが最初の仏像と言われ(あくまでも伝説)、その写しは写しの写しがどんどん作られ、日本では清凉寺にある釈迦如来像がそれであると言われて「清凉寺式釈迦如来」などと言われています。

その清凉寺式釈迦如来の様式が見られる小ぶりの釈迦如来像が展示されていました。京都の専稱寺のもので鎌倉時代。ま、参考作品ですね。

ウダヤナ王の故事の石彫りもありました。ガンダーラ彫刻です。
それからトルファン出土の仏典の断片。入澤先生に確認しましたが、大谷コレクションの一部です。
ガンダーラ彫刻も、中央アジアの出土品も、龍谷大学が自前で展示品をまかなえるのは強みですね。仏伝彫刻などは以前の龍谷ミュージアムの展示でも見たような。

あと、いろいろな漢文文献が日本に入ってきて写本が作られているので、文書も日本国内で調達できるんですね。

玄奘が訳した大般若経の写本は、巻末に玄奘の監修のもとに翻訳に携わった僧侶たちの名前がずらっと書いてあります。翻訳チームを作って役割分担していたのです。

あとは、法相宗の薬師寺がこの展覧会の協力をしていまして、玄奘の座像が展示されています。鎌倉時代ものもですが、最近になって修復されたそうです。経典を持った姿で、経典は新しく作られたもの。

薬師寺には玄奘三蔵院がありまして、平山郁夫が玄奘の行程を壁画に描きました。その時玄奘の像を収めた堂も作りました。私はここを見に行きましたが、その時玄奘は経典を持った姿の彫刻で、薬師寺の方の説明によりますと、玄奘は経典を担いで旅をする姿に描かれることが多くてそのイメージが強いですが、玄奘はあくまでも訳経をした人だからこの姿にしたのだということです。その彫刻は新しいものでしたが、そのもとネタともいうべき古い像があったんですね。

あとは主に日本で玄奘を描いた図像がたくさん並んでいました。十六善神図といって、神様に囲まれたものが多いです。
深沙大将の像もあります。

最後にガラスケースに重々しく入っている大きな櫃。これは玄奘の翻訳した最大の経典「大般若経」600巻とはどれだけの分量があるものかを実感できる展示なのです。ふたが開いていて、経典が収められているのが見られます。これで100巻収められているということです。ものすごーい重いらしいです。

これで主な解説は終了してあとは自由解散になりました。
閉館まではあまり時間がありませんが、解説しきれなかったものを見たかったらご自由に…ということで、ちょっとぐらいなら閉館時間を過ぎても許してくれそう…?
そこで私はちゃんと見ていないものを見に走りました。

…ということで、まだ続く…
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