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2013年01月09日19:12

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ネファーリア暗黒紀 その2

 人間というものは力を求め行使せずにいられない性質を備えた生き物であるらしく、それが人間に道具や火をもたらし、文明の発達に繋がっていったわけですが、ではその力について熟知した上で使ってきたのかといえばもちろんそうではありません。よくわからないけれど、こうすればこうなったという経験則に基づき応用してきたのが実状で、なぜそうなるかという原理そのものの解明がなされたのはずっと後の時代になってからという例も多々あったわけです。古来、太陽が東から出て西に沈む現象の説明などにも部族や民族の数だけ多くの解釈がなされましたが、一つとして本当のしくみをいいあてたものはなかったにもかかわらず、その部分をブラックボックスとして現象そのものを利用すること自体は可能だったわけです。けれどそこからさらに踏み込んで、間違った解釈を前提として何かに利用・応用しようとすれば当然うまくいくはずがないわけで、日時計を作ることは可能でも太陽神に生贄を捧げることで太陽の運行そのものを変えることはかなわないということにもなるのです。

 それが魔法が存在しモンスターが跋扈するファンタジー世界においても同様であったとすれば、魔法が体系化された技術体系となるまでにはさぞ長い試行錯誤の歴史があったものと推測されますが、モンスターのような異種族の存在についてはさらに理解が困難でしょうから、先に人間の道具となった魔法がそんな未知の領域に適用されるとき、待っているのはいっそう深い混迷の道に相違ないと思います。ここで力を求める人間の異種族の存在への働きかけとして想起されるのも、生贄を捧げるなどの手段でその力を借りようとする企てですが、それが存在しないから失敗した我々の世界とは異なり、ファンタジー世界なら成功する可能性はあるとはいえ、やはりそれは困難なことでしょうし、むしろ存在するがゆえの誤謬に陥ることさえあるのでしょう。

 そのときそこで問われるのは、人間が世界を捉えるとき、どこまで人間の勝手な立場から見たにすぎない世界観に陥らずにすむかでしょうが、それがどれほど困難なことかは供物と引き替えに力を貸すとされる悪魔や魔神などの造形に見てとれるように思います。次回はそんな観点から、人間が思い描く悪魔や魔神などがたとえファンタジー世界といえどいかに存在しがたいものであるか、少し考えてみようと思います。

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