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2011年09月28日21:06

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外伝7 第5章 後半

第5章 影来る道 その2

「昼飯にしよう。あとはこの川沿いの道を下れば、日暮れまでにイルの村に着く」
 オルト院長の言葉に馬を止める一行。その目の前には緑の草に覆われた平原のただ中を、天頂からの日差しにきらめく清らかな流れが左から右へと過っていた。だがアラードは院長の話を思い出し、思わず身を震わせた。

「では、これが……」
 赤毛の若者のつぶやきにオルトが応える。
「そう。これがユーラの民が開いた川。長年の争いの元になり、ついには青年アレスの亡骸が黒髪の民の村に流れ付いたことで、金髪の民の滅びを招いたという川だ」
「ならば、あの丘の向こうはユーラの村の跡か。細く煙を上げているのが吸血鬼が潜んでいたという火の山だな?」
 ボルドフの問いに首肯するオルト。一同の視線が北を向く。

 西から街道をやってきた一同は、川沿いの道との交点に立ち、川上にそびえる丘を臨んでいた。この地に200年前、アルデガンを開いた尊師アールダの足跡が残されていることを知る彼らでさえ、この同じ場所にアールダが馬を止め、丘の上の青年アレスにはるかなまなざしを向けていたことを、ましてその胸の思いを知るよすがはなく、いまや彼らは丘の背後に隠された水源の村とかつて吸血鬼が潜んでいたという洞窟に、丘の背後から昇る噴煙に漠たる不安をかき立てられつつ想いを馳せているのだった。やがてアラードが、ためらいがちに口を開く。

「……やはり、まず北の村へ行くべきでは。災いの影は一刻も早く払うべきかと」
「その思いやよし。だが行うは慎重をもってせねばならぬ」
 老修道士アルバが重々しく応えたが、その目にはどこか柔和な光がうかがえる。
「まだまだ青い、未熟な奴で」
「いや」
 ボルドフの言葉を遮るアルバ。

「たとえ青くとも、自らの恐れのさなかで世を思うその気構えが大切なのだ。解呪の技を聖なる術式たらしめるものこそ、術者のかような思いに他ならぬのだから。それに」
 柔和だった目がにわかに真剣な色を帯び、若き戦士の鳶色の目をまっすぐ見つめる。
「そもそも戦士の身で最難の術に挑むからには、よほどの事情があるはず。たとえ僧院に迎えるのが無理でも、せめて一年、いや半年でもそなたを預かることができればのう……」

 自分の耳が信じられぬ思いで、アラードもまた老修道士の顔をまじまじと見つめる。
「……伝授して下さるのですか? 私に、解呪の技を?」
「一度や二度なら発動させられるかもしれぬ。安定して発動するにはさらなる修行が必要であろうが、この技をわしの代で途絶えさせるわけにゆかぬ以上、せめてそなたに」
「またそんな無理を、老師よ」
 苦い口調で割り込む少壮の院長。
「あの術はあまりにも厳し過ぎる。あれではめったに修得できる者は出ぬ。術式を見直せば、私や侍祭たちでも扱えるものになると前から」
「だから魔道の知識を使うのか? そんな心構えだからそなたは発動できぬのだ!」

 突然の口論に、思わず顔をグロスと顔を見合わせるアラード。かつて彼らも発動できぬことに思い悩んだ末、術式を改めることを考えたことがあったのだ。そんな彼らの耳に、ボルドフの低い声が届く。
「魔道の知識とは穏やかでないな。どういうことだ?」
 苦々し気に押し黙るアルバを後目に、紅潮した顔で話し始める少壮の院長。
「解呪の技に挑む以上、そなたたちも知っていよう。解呪の技の由来を。元は魔道の技であったことを」
 うなづく三人の顔を見渡し、話を続けるオルト。

「かの呪殺の邪法は、そもそも大陸の外からこの東岸の地にもたらされたと伝えられている。東の大国イーリアに伝わる術式は、解呪の技を生み出す過程で得られた知識に基づくものだという説もあるくらいだ。この地には他の地域では失われた魔道の技が、未だ残されているのだ。そしてこの地に潜むという吸血鬼の噂が禁断の知識を求める者を呼び寄せている」
「不死の肉体、か?」
 つぶやくボルドフにオルトがうなづく。
「そんな、まさか本当に?」
 信じられない思いで問いかけるアラード。未だ老いの実感とは無縁なうえ吸血鬼の身に堕ちた者の苦しみや呪咀に接したことのある赤毛の若者にとって、そんな理由で吸血鬼に近づく者がいることなどありえないとしか感じられなかったのだ。だが、少壮の院長の答えはゆるぎないものだった。

「間違いない。わが僧院に魔道の知識をもたらしたのも、そんな者の一人だったのだから」
「……まさか、その者と接触されたのか?」
 グロスの声にアラードは突然気づかされた。この白衣の司教が朝から全く言葉を発していなかったことに。

「直接話したわけではない。その者は死んでいた。今から五年前に僧院の裏手の川に流れついたのだ。そしてその川も」
 院長オルトの手が、薄い噴煙を指し示した。
「あの火の山の麓から流れ出ているのだ。この川より幅が狭く、僧院の畑を潤すのがやっとだが」
「五年前……」

 再び物思いに沈むグロス。そんな師をしばらく待った後、意を決してアラードはオルトに問いかけた。
「話したのでないなら、なぜ魔道にかかわる者だと?」
「魔道にかかわる書物を持っておったのだ。明らかにその者の手になる書きかけのもので、しかも吸血鬼にかかわる内容だった。姿こそ見せずとも、尊師がこの地に存在を明言していた吸血鬼。そこへそんなものが流れ付いたのだ。東の櫓を預かる以上、見過ごすわけにはゆかぬ」
「それで、中身を改めたというのだな?」
 ボルドフにうなづくオルト。

「正直いって、内容は驚くべきものだった。吸血鬼の不死性から様々な能力に渡る示唆を含む記述に加え、それを摸すための研究の経過が書かれていたのだ。それどころか吸血鬼の動きを封じるという呪文さえ記されていた。記述によればそれは彼らが自分を転化させた相手に抗えぬ原理を応用したもので、魂に刻まれた恐怖を足掛かりに呪縛するものだという。はるかな超古代、一人の王が拘束した吸血鬼を操り、自らを生きたまま転化せしめた術の流れを汲むもので、操るまではできぬが自由を奪うことはできるとな」
 その言葉に我慢しきれなくなったのか、憤然と話に割り込む老修道士。
「汚らわしいことだ! あの呪文は吸血鬼ばかりか人間にも通用する魔道の術式のまま、なんら無害化されておらぬ。あんなもの1つでも世に漏れればどれほどの災いをもたらすと思う!」
「無害化すれば威力は半減し、肝心の吸血鬼に通用しなくなる。それでは本末転倒ではないか。吸血鬼の脅威が疑われる以上、櫓を預かる我らには備える義務があろう!」
 いい募る院長オルトに、老アルバは厳しいまなざしで問いかける。
「あの書を読んだなら、魔道の技がどれほど汚れた方法で編み出されるか知っておろう。それでもそなた、そんなものに縋るつもりか」

 固い表情で押し黙った少壮の院長をしばし見つめた後、やがて老修道士に問いかけるアラード。
「その書には、いったいどんなことが?」
「そやつは肉体を不死身とする薬を作ろうとしていたのだ。様々な薬や毒が肉体におよぼす効果がこと細かに記されており、短い時間に現われる効力のみならず長い歳月をかけて発揮されるものにも多くの記録がなされておった。これがいかなる意味かそなたわかるか?」
 思い当たるには時間を要した。やがて口を開いた赤毛の若者の声は、かすかに震えていた。

「誰かの体で毒を試していたとおっしゃるのですか。それも長い年月……」
「そやつはイルの村外れで吊るされていた子どもを手中に収め、何十年も毒や呪文の実験台にしておったらしいのだ。己が求めるもののためには手段を選ばず他の者を犠牲にして顧みぬ。まこと魔道の徒ならではの非道よ!」
「むろん記録は五年前までしか記されておらぬが、最後にはその者の体はぼろぼろだったようだ。おそらくもう生きてはいまい。確かに酷い、許されざることだと私も思う。だが」
 今度はオルトが話に割り込む。

「この地を守る手段がそれしかないなら、汚れた技と打ち捨ててすむ話ではあるまい。解呪の技とて元は呪殺の禁呪。大事なのはいかなる目的で使うかであろう!」
「その禁呪を浄めるべく先人たちが施した手だてを、威力を削ぐなどと軽視する心構えがそもそも問題なのだ。威力に頼るは力を安易に欲するのに通じ、やがて己が心を毒することになるとなぜわからぬ!」
 延々と続く言い争いに、だがアラードは奇妙な感慨を覚えていた。大陸東端のこの地から遠く、砂漠のほとりの焼かれた村へと思いを馳せながら。


 それは破られたアルデガンから魔物を追う旅に出て最初に体験したできごとだった。魔物の群れに一夜にして滅ぼされた街から遠くなかった赤毛の民の村ドーラ。からくも破滅を免れた村は、だがわずか七人の騎馬の戦士たちに滅ぼされた。しかもそれは、同じアルデガンで魔物たちと戦っていた仲間たちが、守っていたはずの人間に背後から攻められ大切な者を惨殺された衝撃に耐えきれず、狂気の闇に堕ちた果てに引き起こしたことだった。

 その恐ろしい体験に彼自身も精神の平衡を失いかけたものの、全てが終わったとき、自分の側には二人の師がいたのだった。そしてそれまで自分と隔絶した高みにいるとばかり感じていた師。特に生涯追いつける気がしないあのボルドフでさえ、昏迷する地の中ではただ翻弄されるしかすべがないと感じたとき、暗澹たるその事実に救われる思いがしたのだった。それは自分と同じ位置に立ち同じことを感じる人間としての彼らが、道を共にしているという実感、自分は一人ではないのだという思いに裏づけられた世界への信頼とでもいうべきものだった。

 そんなアラードにとっては二人の先達が争っていること自体、それぞれ世を憂えてのことなのは自明と思えたから、彼らもまた善き心の持ち主であり、世界への信頼を裏切る存在たりえないのだった。あのとき師であるグロスと自分は、小さな人間にすぎぬ自らを自覚したことから解呪の技の術式に手を加えるのではなく謙虚に接することを選んだのだったが、いま目の前で先達たちが同様の問題に直面していることに、奇妙な安心感すら覚えていたのだった。その思いは知らず若者の顔に、大切な者にのみ向ける柔らかな笑みとなって浮かんでいた。

「なにを笑っている? おかしな奴だ」
 目ざとく見とがめたボルドフの言葉に振り向いた少壮の院長と老修道士を、柔和な笑みが迎えた。彼らは互いに顔を見合わせ、ばつの悪い面持ちで黙り込んだのだった。


「ではひとまず川下のイルの村へ行き、得られる限りの情報から方針を検討して、可能なら案内などの助力も求めるということでいいな?」
 食事を終えて立ち上がった一行はボルドフの言葉にうなづき、吸血鬼が潜むとされた見えざる火の山から北の空に昇る噴煙に背を向けた。ずっと手前の丘にある小さな洞にあのとき天空高くを飛び去った魔物たちにかしづかれ、仮死の眠りのただ中で漠たる悪夢に苛まれ続ける少女の姿の吸血鬼が潜むことなど、想像すらできぬまま。


第6章 昏き落日 →
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