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2011年09月15日00:19

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頂き物 その25

穴混んだ様の手になるアルデガン。
本日は第25話。アルマとガラリアンという全くタイプの異なる2人の魔術師の対比が鮮やかです。
どうぞご覧ください。


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『塞翁』            穴混んだ

その25

 ――巨人の腕を魔法で壊死させ、最初の攻防が終わった後、アルマはそんなガラリアンとのことを思い出していた。ガラリアンがいなかったら、今の自分はなかった、と。

 アルマに対する認識というものは、周囲は女傑よ天才よと謳われる稀代の魔術士というものだったが、本人は、魔術好きというだけの至って平凡な女である、というものだった。他者と自己の評価、いずれが過大ないしは過小だったかはともかく、人類のために他生物を討滅するという理念に共感できるような心の素養を、この栗毛の少女が一切持ち合わせていないことだけは確かだった。

 そんなアルマが、魔法を失いたくないがためにいつ終わるとも知れぬ魔物との戦いの日々に身を投じた。しかし魔物を人類の敵としてではなく、人間と同じ『生命』としてしか見ることのできない者が魔物を殺し続ける日々に入れば、精神がまいってしまうのは自明の理だった。

 やがて心身ともに磨耗しきったアルマは、自室に籠もり殲滅隊に加わることを拒否するようになった。

 戦いを拒否した者に、アルデガンの戦士を続けさせる訳にはいかない。上層部、特にここに至ってアルマの処遇に関する件が自身の判断違いであったと周囲の忠告で気づいていたゴルツは、アルマの才を惜しんで特例とも言える長い期間、彼女が部屋から出てくることを待ったが、それも限界が来た。上層部はアルマに不具の刑を施した後、アルデガンから放逐することを内々に決定した。

 結局その決定は後に覆されることになるのだが、そのことを後で親友のアザリアから聞いた時、アルマは全身の血が凍るような恐怖に襲われた。まったく、何重の意味にもガラリアンのお陰だった。

 ガラリアンは、アルマの閉じこもっていた部屋の扉を焼き飛ばして闖入した。

 正直、その時のことは意識が朦朧としており、夢の中のような、非現実的な感覚での出来事だったため、あまり良くは覚えていない。悪夢が怖くて寝ることもかなわず、食事も数日前から断っていたため、疲れ果てた心身が彼女から現実感覚を奪っていたのだ。しかしアルマの意識がはっきりとした時、この小柄な乙女はガラリアンに手を引かれて、いつの間にかアルデガンの中央広場に連れてこられていた。

「アルマ、見るが良い。あそこで飛び跳ねている子供たちを」

 言われるままにガラリアンの指し示す方角を見ると、広間の噴水を中心に、確かに子供たちが戯れていた。

「お前にあの子らを見捨てられるか」

 最初、アルマはガラリアンに何を言われているのか理解できなかった。今現在、遊び呆けている子供たちをもって、見捨てられるかとはどういった意味か。

「魔物の中には、人を食らう者が珍しくない。むしろ食わない奴の方が珍しいだろう。アールダが大陸各地の魔物を封魔の洞窟に封じて以来、そんな悲劇は180年近く起こっていないが、かつてはそうした事実が確かにあったのだ」

 アルマはその言葉を聞いて、目を大きく開きガラリアンを見つめた。

「アルデガンが破られれば、そうした過去の記録が現代に蘇る。俺らが牛や豚の肉を食らうかのごとく、奴らは人間を食らうだろう」

 その光景を想像してしまい、アルマは空の胃袋から胃液が逆流してきそうな不快感に襲われた。

「アルマ、もう一度問う。お前にあの子らを見捨てられるか。お前に、あの子らが魔物に食われても自分が生き長らえればそれでいいと、何者も憚らず断言できるのか?」

 ガラリアン自身の結論から言えば、問いかけている本人は子供など簡単に見捨てられた。それこそ道端の石が転がった程度に寄せる関心すら持たずに、魔物が子供たちを食らっている光景が眼前に展開されても眉ひとつ動かさず対処することができるであろう。この炎を形取った紋様をローブに刻んでいる稀代の火術師は、己の野心とその成就に破綻を来した時にしか心を動かすことはない男だった。――少なくとも、この時点では。ゆえにガラリアンにとってアルデガンの子供たちをダシにアルマを叱咤激励しているのは、あくまで同水準の魔術の使い手がそのまま朽ち行くのを防ぎ、それをもってガラリアンが魔物討伐の時代をアルデガンにもたらした名誉戦士の名の列に加わる可能性を高めるための布石という以上の意味は存在しない。

 だが、アルマの方では違う。その才を惜しまれ、大人たちから宥め賺されることはあっても、叱咤されることはなかった。彼女が年端の行かぬ少女であったということもあるが、稀代の才能を秘めるアルマに対し、指導することも叶わず宥めるしかない大人か、でなければ見上げて妬むしかない同期と後輩しかいないためだった。優しくて良き理解者である同期の親友アザリアは彼女を励ますことはできても怒鳴りつけることなどできない女であったし、時の最高指導者ゴルツは一人の魔術師育成に力を割けるような時間的余裕はなかった。

 ゆえに、アルマにとってこの恫喝は効いた。聡明なアルマは、ガラリアンの言わんとすることをそれで全て悟ったのだった。

「私は……あの子達を、見捨てようとしている訳じゃないわ」

「同じだ」

 弱々しいアルマの異議に、しかしガラリアンは一切容赦のない口調で一蹴した。

「貴様は、自分ひとりが苦しんでいると思っている。この世で自分が一番不幸だと勘違いしているのだ。でなければ、どうして部屋に籠もって何もしない、などという甘ったれたことができるものか」

「……酷い……!」

 手厳しい言い方であったし、決め付けだった。だが、アルマが反論できなかったこともまた確かである。この世は、上を見上げてもキリがないのと同様、下を見下ろしても切りはない。自分より幸福な者が数限りなくいるであろう半面、逆に不幸な者も沢山いる。少なくともアルマは衣食住を保障され、周囲から多大な期待を寄せられ、それを明言されているほど魔術の天賦に恵まれた。魔物との闘争という、いつ死するか分からぬ日常にいるが、それとても明日飲む水すらもなく、何事も成すことなく親にすら見捨てられ死ぬしかないような飢饉時の領地の幼児などと比べれば幸福な方であろう。少なくとも彼女は、外的要因で飢餓を感じたことは一度もなかった。

「アルマ、重ねて問う。飢えたオオカミから鹿が逃げて、結果オオカミが飢え死んだらそれは鹿の罪か」

 ガラリアンは、『魔物が人間を食らおうとして、それを防衛するのは罪か』という内容を比喩で語った。そしてアルマはそれを正しく読み取った。

「食べられてしまうからといって、鹿はオオカミを皆殺しにしたりはしないわ」

 鹿は、逃げて食い殺されることを防ぐのみ。人間のように、未来の不安を根拠に他種を絶滅させたりはしない、と、比喩で返した。そしてガラリアンはそれを正しく読み取った。

「鹿にそれを成し得るだけの力とそれを成すことによって平穏を得られるという知性があったとしても、鹿は絶対にオオカミを皆殺しにすることはないと断言できるか。実際に我が子が食われ掛かっている時に、鹿がオオカミを殺さぬと断言できるか」

 狼に、鹿を食い殺す力が生まれつきあったように。鹿に、そこから逃げる力が生まれつきあったように。たまたま人間に、そうした知性という防衛手段が備わっていたというだけのこと。それを否定するのは狼が自らの牙を否定することであり、鹿が自らの足を否定することと変わらない。ガラリアンはアルマに、比喩を用いてそう告げた。

 そこまで言われて、アルマは返答ができなくなってしまった。

 別の比喩、論点のささいな点を指摘して、反論を続けることは可能だろう。しかしそれが意味のないことは、誰よりアルマ自身が分かっていた。ガラリアンがいかほど不器用で無理な説得を用いようが、その心底には自分をどうにかしようとしている思いがあることはアルマにも理解できた。アルマとしても何らかのきっかけで、戦線に復帰するより他にないことは心の底では分かっている。たとえどれほど強引であれ、この説得に応じるより他にないのだと、アルマは分かったのだった。



 ガラリアンからの説得を受けて後、アルマは魔物との戦いの戦線に復帰した。

 ガラリアンの、乱暴で一直線な説得だけが効果をもたらした訳では無論ない。ガラリアンから無理やり部屋から連れ出されたことを知って、同期の女魔術師アザリアが駆けつけた。そのアザリアからも、穏やかにたしなめられたのである。

 そして聞かされた。このまま引篭もっていれば、待っているのは魔術師としての破滅だけだ、と。これまで放置してもらえたのは、一重にアルマの才が惜しまれてのことだった、とも。心底で予想していたことが、他者の口からはっきり明言されたのである。

 完全に納得できた訳では、無論ない。しかし自分がアルデガン上層部と、そして同期や火術師の天才が自分を気に掛けてくれているという事実が、アルマを照灯の消えた薄暗い自室から出る決心をさせた。

 自分だけが、魔物殺しの咎を負うのではない。アザリアやガラリアンといった同じ魔術師たちは無論のこと、他の数多のアルデガン戦士たちもみな背負っているのだと。自分が引篭もっている間にその咎をより多く、より重く背負っていっているのだと考えた時、自分もまた少しでも分担して背負おうと考えた末だった。


 出てきた後、アルマは指導者ゴルツにまず謝罪しに行った。この時にはもうゴルツは、希有な才能の魔術師が、その精神は普通の内気な少女であるということを理解していたから、対応は慎重に行った。

 本来、戦闘拒否を行った者には厳罰が必要であったが、ゴルツは自らの見落としやこれまで心身を削って戦ってくれたアルマ自身、そしてローラムやボルドフ、アザリアやガラリアンといった若き精鋭たちの嘆願によって、アルマには叱責のみで済ませるという史上類を見ないほど軽い処分で収めた。あるいはこの頃から、人材不足の傾向が見え始めていたのかもしれず、それも理由の一つに含まれたかも知れない。

 そしてこれは、アルマ自身は知らなかったが、ゴルツはアルマへの寛大な処置を嘆願してきた精鋭たち、特に同期のアザリアと説得を行ったガラリアンに、アルマの面倒を見るよう注意を促した。アザリアは最初、その公人としての使命感から、ガラリアンは自らの野心によってその注意を受け取った。

 その付き合いの中、アザリアとはやがて心置かぬ無二の親友となった。共に幼くして高位魔術を修めた女同士、魔術の議論も私人としての趣味の話も合致したため、打ち解けあうのに時間は掛からなかった。そのアザリアの手伝いをすること。負担を減らすこと。そのためだけでも、アルマは魔法をもって封魔の洞窟に再び向かう気力を保てた。

 ガラリアンに気を掛けられることは、結果的に自分がアルデガンにほんど存在していない、天才火術師と交流している稀少な人間ということになった。野心によって気に掛けることにしたのは良いものの、それまで他者を気遣うなどということをしたことのないガラリアンのアルマへの接し方は、お世辞にもうまいものだったとは言い難かった。態度は尊大で口も決して良くはなく、他者を顧みぬこと夥しい。どうしてこうした人間が自分を気に掛けるのか、ガラリアンがゴルツから注意を促されていることを知らぬアルマには最初、不思議で仕様がなかったほどであった。

 そこで嫌ってしまうのは簡単だったが、腐ってもガラリアンは自分を破滅から救ってくれた人間だった。辛抱強く魔術師として付き合ってみて、アルマが達したガラリアンという人物の評価は、

「この人は、誰からも愛されたことがないんだ」

 という結論だった。

 頼み得るのは自身の力のみ。後の一切は利用するだけのもの、という考え方。それは他者からすればエゴイズムの極みであり、忌避と憎悪の対象にはなっても同情を呼ぶことは考えにくい。たとえ同じような考え方をする者であっても、そうした者は他者を認めたりしないであろう。

 だが、実際にその考え方は本人にとって幸せか。そうして生きることで、本当に幸せを感じることはできるのか。

 アルマの考えたところ、その答えは「否」だった。

 充実はしよう、何かを得られたという達成感は得られよう。だがそのような考えでは、やがてどこかで気づくことになる。「自分は他者を利用することしか考えていない。では他人はどうか」と。

 そうした考えで生きた者が、他者から自分が愛されていると考えることは、不可能とまでは言わずとも至極困難であろう。頭脳が高位魔術を解するだけ明晰であればなおのこと、自分が他者を愛していないのに、どうして他者が自分を愛することがあると考えることができようか。自分と同様、他者も自分を利用していると感じるだけであろう。誰であれ、決して心許すことはできない、という結論に達し得る可能性が大きい。

 そう、ガラリアンの生き方では――未来永劫、死ぬその日まで「安らぎ」を感じることはできない。

 自ら進んでそんな生き方を選ぶ者は、皆無とまでは言わずともごく少数であろう。愛されるべき者から愛されなかった時、では自分も誰も愛すまい、そういう結論に達するのではないか。そしてその結論で生きていけるだけの、他者の助けがいらぬほど傑出した何らかの才能。ガラリアンの場合は言うまでもなく魔術師としての才能で、これが考えを改める機会を奪ってきたに違いない。

 ガラリアンは、親兄弟といった、もっとも愛してくれるべき者から、愛されたことがなかったのではないか。アルマはそういう結論に達したのだ。

 なら、自分がこの人を愛そう。

 アルマは決意した。あのまま部屋に籠もっていたら、アルマは取り返しの付かぬ破滅の未来へと突き進んでいた筈である。そこから直接、最初に救ってくれたのはガラリアンであった。ならば自分が、今度はガラリアンを救う番なのだと。

 部屋に籠もった自分はガラリアンに救われた。ならば次は、自分の殻に籠もったガラリアンを自分が救い出す番だ、と。

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