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2010年08月07日22:51

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2つのブルックナー全集

先ごろ渋谷のタワーだったかHMVだったか、大型レコード店の閉店が伝えられましたが、地元川西でも20年近くの長きに渡りお世話になってきたHMV川西店がこの8月29日(日)で閉店することになり、ショックを受けています。この店はそれまで梅田まで出ないと入手できなかったクラシックの輸入盤を扱ってくれた近隣唯一の店でしたが、少し前から輸入盤の入荷がほとんど停止していたのでいやな予感がしていただけに、ただ残念の一言です。
今回買ったのはいずれも1980年にテレビ用に収録された映像作品のDVDでした。一つが今年亡くなったスイートナーがベルリン国立歌劇場の来日公演でタクトを取ったときの「魔笛」で、もう一つがウィンチェスター大聖堂で付属の少年および男声合唱団がしっとり歌い上げたフォーレの「レクイエム」だったというのもなにかの縁かもしれません。けれど、ここでは少し前にこの店で入手していた2つのブルックナーの「交響曲全集」について書くことにします。いずれも輸入盤だったこれらのアルバムが、この店で購入できた最後の輸入盤ということになりますので。


フォルクマール・アンドレーエ/ウィーンSO
(1953年録音)

ロベルト・ペーテルノストロ/ヴュルテンベルクPO
(1997〜2006年録音)


この2つに共通しているのは、いずれも放送局用の録音であるということ。前者にはオーストリア放送、後者には南西ドイツ放送のロゴがパッケージに表示されていますが、特に53年録音のアンドレーエ盤は放送局がバックについていないと実現できないプロジェクトだったはずです。1シーズンでブルックナーの巨大な9つの交響曲と「テ・デウム」をまとめて演奏するのですから。まだレコード録音全体を見渡しても9曲のうち半分くらいしか録音されていなかった時代を思えば、このプロジェクトの凄さは破格です。
それとは対照的に10年もの歳月をかけて0番を含む10曲の交響曲と「テ・デウム」を録音したペーテルノストロ盤はシーズンに1曲ずつですから見た目のインパクトはありませんが、長期に渡るプロジェクトをとにかく完成させたのが立派です。

演奏が収録時のミスもほとんど修正しない、録りっぱなしの状態なのも同じ。古い53年盤はともかく、デジタル録音のペーテルノストロ盤でもそうなのはコストの制約なのかもしれませんが、それぞれ独特の生々しさが感じられるのがいいです。最近の録音はライブを素材に編集加工して仕上げるというパターンのものが増え、観賞用としても記録としても中途半端なものが増えただけに、記録と割り切った収録姿勢にいさぎよささえ感じます。

ついでにいえば、録音もいかにも放送用らしい安定感重視のものなのも共通点かも。もちろん物理特性には雲泥の差があるわけですが、帯域やDレンジを欲張らない、機材に無理をさせない感じの収録は放送局ならではです。ただし物理特性以上に会場の音響特性にも大きな違いがあるので、アンドレーエ盤は全体にドライで骨っぽい音、ペーテルノストロ盤は長大なエコーに包まれたやや軟調な音と対照的なものになっています。

演奏も会場の音響特性の影響を受けているようで、アンドレーエ盤は全体にテンポが速く曲の骨組みを前面に押し出してくるスタイル。情緒的に歌う場面はほとんどなく構造をして語らしめる演奏という印象です。きめの粗い音質がそういう特徴を強調しているのも確かですが。対するペーテルノストロ盤は悠然としたテンポでエコーが消えるのを待ちながら進むがごとき演奏で、パーツがむき出しで出ることはなくゆったりと広がる響きの中に全てが溶け込んでいます。対位法的な動きより歌いまわしに重点が置かれた解釈にはブルックナーの作品のスタイルを考慮すると疑問な面もあるのですが、交響曲というより宗教曲に近い音楽と考える向きには共感を呼ぶ解釈かもしれません。アンドレーエ盤と同様9番のあとに旧作の「テ・デウム」を演奏しているわけですが、アンドレーエ盤ではベートーヴェンの9番のように先行楽章との異質さゆえのコントラストの印象が強いのに対し、ペーテルノストロ盤ではもともと別々の曲だったこの2曲をむしろ馴染ませる傾向なのがこの2つのチクルスの演奏の特質を端的に示しているといえそうです。

とまれそれぞれに特徴のはっきりしたこの全集録音ですが、もう一つ違うのがお値段。アンドレーエ盤は9枚組で11000円でしたが、11枚組のペーテルノストロ盤はたったの1900円。ゼロが一つ少ないのかと思ってしまうほどですが、僕がこれまで見たことのあるブルックナー全集では文句なしに最安値です。
アンドレーエ盤はブルックナーの全曲録音としては最も古いものであり、その歴史的な価値は絶大です。それにそもそも誰もが手に取るものでもないでしょう。だからこのアルバムの値段についてはこんなところかなという気はします。では、比較にならないほど音質の良いペーテルノストロ盤のこの値段をどう考えるか。このアルバムの対価として考えるなら、たとえ解釈面にいささか疑問があるにせよ、あまりに安すぎる気がしてなりません。市場における物の値段はその物への評価を反映すると考えるならば、これは年代の新しい音盤への評価がかつてないほど低下しているか、あるいは音質の良さがもはやセールスポイントになりえないと考えなければならないのではないでしょうか。

SPからLP時代、そしてステレオ期にかけて、音質の向上は音盤の購入動機において少なからぬ比重を占めていました。ワインガルトナーやストコフスキーなどが得意の曲目を数年の間に何度も録音したのは、少しでもいい音でそれらの音楽を聴きたいという買い手の欲求があればこそで、カラヤンあたりまではそれが続いていました。けれどCD時代に入ると録音のクオリティを小型化が進む再生装置が追えなくなってきたことから頭打ちになってきました。そして装置のクオリティのさらなる低下は聴き手の音質面での欲求水準をむしろ低下させるようになり、著作権保護期間の切れる音源が出始めたこともあって、少なくともクラシック音楽の分野ではコアなユーザーほど新しい録音に関心を示さなくなる傾向が目立つようになってきました。もともと作品そのものが現代の産物ではないわけですから、ある意味当然のことといえないこともありません。

けれど現在の活動への関心が空洞化してしまうと、それらの活動は支えを失い、未来へつながってゆかなくなります。加えて音楽の流通がネット上でのファイルでのやりとりへと加速するがゆえの大型CD店の閉店は、単に寂しいというだけでなく、消費者がますますむき出しの消費者としてのみ振舞ってゆくであろうことと、そのことが音楽シーンをどう変えてゆくかに関する前途への不安を感じさせずにおきません。

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