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2010年04月29日17:36

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大阪シンフォニカーの4つのアルバム

 先週の出張帰りのこと。久々に立ち寄ったHMV神戸店で1枚のCDが目にとまりました。

 アッテルベリ 「交響曲第6番」
 エルガー   「弦楽のためのセレナーデ」
  児玉宏/大阪シンフォニカーSO

 創立30周年を迎えこの4月に大阪交響楽団とその名を変えた大阪シンフォニカー。一般発売されたCDは多くないものの、思えば87年と93年に収録された伊丹映画祭における2点の伊福部アルバムは、そのどちらの会場にも聴衆として居合わせた僕にとってあまりにも重大なものでした。いまはなき伊丹文化会館のデッドなアコースティックが非力な部分もなくはなかった発展途上のアンサンブルを容赦なく暴きたてる面もありましたが、俊英指揮者金洪才の棒に若き楽員たちが食らいつくようにして演奏していた姿が目に浮かぶ87年盤、そして伊福部と同郷のやはり日本映画音楽界の重鎮だった佐藤勝の重い棒に応え、二回りも成長した合奏力でずしりと手応えのある音楽を聴かせてくれた93年盤。それぞれがあの時あの場所で起きた出来事を余すところなく今に伝える貴重なドキュメントたりえています。それゆえにこの2点は、レコードを鳴らすことに迷いが生じたときのかけがえのない道しるべとしての意味合いも持ち続けてきたのでした。ここではそんな大阪シンフォニカーの歩みの過程で生まれた4点のアルバムについて振り返ってみたいと思います。


 87年盤は「伊福部昭の世界・映画音楽とクラシックの夕べ」と題されたコンサートの全4曲を2枚のCDに収め、しかも余白にはその夜に別の会場で開かれた作曲家自身のトークショーから演奏曲目について語られた部分を抜き出して収録しているというサービスぶりで、そのどちらにも立ち会った僕としてはそろそろ四半世紀近い昔の出来事全貌を奇跡のように留め得たかけがえのないものという他ありません。「SF交響ファンタジー第1番」「シンフォニア・タプカーラ」「管弦楽のためのロンド・イン・ブーレスク」にバレエ音楽「サロメ」の4曲は、まさに伊福部昭の世界を一度のコンサートで概観するには絶好の選曲で、俊敏な半面やや軽量感のつきまとう当時の金洪才氏の音楽性とのずれや会場のデッドな響きとあいまって貧相さが強調されがちなオーケストラにもかかわらず、実演で初めて聴いた伊福部作品の威容に打たれたかけがえのない体験でした。

 93年盤は「SF交響ファンタジー」全3曲に作曲家にとって久々の復帰作だった「ゴジラvsキングギドラ」や「ゴジラvsモスラ」「ゴジラvsメカゴジラ」からの曲を挟んで構成されていますが、この盤の特徴はなんといっても自らも日本映画音楽の重鎮の一人だった佐藤勝の指揮でした。ちょうど今から10年前、氏の訃報に接して同人誌に書いた文章を引いておきます。

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 年末に佐藤勝氏の訃報に接しました。黒沢映画の作曲家として有名でしたが、僕にとっては93年11月23日に伊丹文化会館で大阪シンフォニカーを指揮した「ゴジラ生誕40周年記念コンサート」での重厚な指揮ぶりの印象が強く、いささか非力なはずのオケから同郷の先輩にあたる伊福部昭氏の雄大な音楽を見事に引き出した手腕に感銘を受けたものでした。それはクナッパーツブッシュやフィエルシュタートといった巨人指揮者に通じる無骨な風格、腹で歌う大きな音楽が作曲家の個性と一致した忘れがたい演奏会でした。この時のライブ録音はCD化され、自分の拍手も入っている会場の響きをオーディオから引き出すべく努力する対象ともなってきました。しかし伊丹文化会館は震災の後取り壊されてすでに無く、今また佐藤氏の訃報によりあの日の音楽が決してかえらぬことを思い知らされた1900年代の終わりとなりました。

 音を記録するというありうべからざる特質によって、レコードはクラシックの作曲家が想定できなかった聴き方を可能にしました。書物を精読するようにくり返し聴き込むことによって、実演だけでは音楽的素養のある人にしか得られないような理解水準に到達できるようになり、クラシックを大衆に近づけることに貢献しました。レコードでクラシックに親しむ際にはこういう聴き方はバッハやベートーヴェンの時代にはなかったことを念頭に置きながら、そのメリットをありがたく享受するのがよさそうです。小品ならともかくベートーヴェンやマーラーの巨大な交響曲を実演で聴いて、凄いものを聴いたという印象以上のものを得る難しさを想像するとそのありがたみがよくわかります。

 しかし今回の佐藤氏の訃報は音楽は本来その会場で鳴り響いた瞬間に属するものであることを改めて実感させるものでした。ごく新しいデジタル録音のディスクながら、それはたとえばワインガルトナー/ウィーンPOのSP録音と同じくらい手の届かないところにあるものであることを痛感しました。人も建物もこの世から消え去り、ただ音楽だけが音の記録として留められているということに何か畏敬の念に似たものを覚えずにはいられません。このディスクは僕にとって今まで以上に特別な意味合いをもったレコードになりそうです。

<同人誌「MUSE」2000年1月号より転載>

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 その後発売されたのがブラームスの交響曲全集です。当時主席指揮者だった大山平一郎と正指揮者の寺岡清高、主席客演指揮者ウラディミール・ヴァーレックが4つの交響曲を分担した、創立25周年に当たる2005〜6年のシーズンのドキュメント的な意味合いが強いライブ盤です。12年の研鑽はアンサンブルの向上に如実に出ていて、厚みと安定感のある響きはそれまでのアルバムとは次元の違う水準のものになっています。

 3人の指揮者の個性がはっきり出ている点が、一人の指揮者が担当する通常のアルバムには見られない特色で、1番と4番における大山の目の積んだ指揮ぶりや、3番におけるヴァーレックの鋭角的なリードもそれぞれの作品の持ち味と合致して聴き応えがありますが、一番気に入ったのが寺岡が指揮する2番ののびやかな演奏。こういう演奏で聴く2番は実に美しい。第1楽章の提示部を反復することで夕映えのような移行音型をカットせずに演奏しているのも大賛成。特にドイツ系の指揮者には、4つの楽章の長さのバランスを意識しすぎるのか提示部を反復しない例が多いですが、この移行音型をカットして平気でいられるのはこの曲が好きでない証拠ではないかとさえ、個人的には思っています。ブラームスというとドイツ交響曲の伝統を堅持し続けた保守的な作風の作曲家というイメージがつきまといがちですが、第1楽章を反復するとそれ単独で残りの3つの楽章の合計に迫る長さになるこの曲は、それらの楽章の素材の全てがこの冒頭楽章から生み出されている作りも含めて、反復するとマーラーの第3交響曲の先駆のようにも見えてきて、ブラームスを保守的な作曲家たらしめているのは伝統的なバランスに押し込めすぎる演奏のせいではないのかと聴くたびにいつも思わせられます。ドイツや旧オーストリア=ハンガリー帝国圏に属する演奏家より、むしろイギリスや日本の演奏家の方が納得のいく演奏を聴かせてくれることが多いのは、ブラームスを考える意外な鍵の一つではないかと思うのですが、寺岡のこの演奏ののびやかさも、伝統の枠を越えたところで曲そのもののあるべき姿を追求した結果、音楽が無理なく推移し呼吸するに至ったと考えたくなるような、そんな感慨に誘ってくれます。


 以上3点のアルバムはいずれもコンサートのライブ音源でしたが、2008年に新たに主席指揮者に就任した児玉宏が世に問うたのはアッテルベリの交響曲6番という、おそらく日本人により録音されるのは初めてとおぼしき珍しい曲にエルガーのセレナードを組み合わせた心憎い選曲のセッション録音でした。この選曲について児玉氏はライナーノートに、アジアの国日本がヨーロッパの音楽文化と距離があることをむしろ特権であると位置づけ、それぞれの作品に対して等しい距離で接することで幅広い音楽文化を紹介できるという趣旨のことを書いておられますが、これは実に心強い、共感できる姿勢であると同時に、寺岡のブラームスへのアプローチにもどこか通じる部分がある考え方のような気もしているところです。

 2009年3月に大阪のザ・シンフォニーホールで収録されたこのCD、オケの状態もよい上に録音もとてもよく、響きの美しさを堪能できる仕上がりになっているのが嬉しいところ。エンジニアの名前はブラームス全集のときとかなり重なっていますが、この差はやはりセッション録音の条件のよさが反映したのだろうと思われます。この仕上がりなればこそ、1928年の作にしては穏健な書法の中に質の高い叙情を湛えた作品の良さも引き出せるというもの。憂いの表情がしなやかに流れるエルガーともども傾聴に値する味わい深いディスクで、もし寺岡のブラームスもこの音質で聴けていたら稀に見る名盤になっていただろうにと、ついついないものねだりさえしてしまう始末。大阪シンフォニカーという名称での最後のディスクになるこのアッテルベリ。商業的に成功するかは危ぶまれるところですが、この意欲と成果が高い次元で両立しているCDが一人でも多くの愛好家に届くことを、そしてこの活動が、大阪交響楽団の名称が記される新たなディスクへと引き継がれていくことを強く願ってやみません。

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