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2010年01月31日07:13

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延原/テレマンCOのベートーヴェン

 昨年後半から1枚ずつ出ていた延原武春とテレマン室内Oによるベートーヴェンチクルスが3枚目まで出たのでまとめて買ってきました。2008年に大阪いずみホールで行われたチクルスのライブ盤で、演奏時の順番ではなく番号順に組み合わせてCD化されています。同じホールで行われた高関/大阪センチュリーOによるベートーヴェンチクルスを手がけたライブノーツレーベルからの発売です。

 関西在住の僕にとって延原/テレマンCOはかつての朝比奈/大フィル同様ご当地ものですが、ザ・シンフォニーホールが設立されて以来続けられている「100人の第9」は僕にとって生で聴いた初めての小編成によるベートーヴェン演奏でした。もう25年ほど昔のことになりましたが、それは巨大なフェスティバルホールで繰り広げられていた朝比奈/大フィルのベートーヴェンとはあらゆる点で正反対のものでした。当時はまだモダン楽器を使っていましたが、速いテンポ、俊敏さを感じさせるアンサンブル、誇張を伴うことなく存在をアピールする管や打楽器、そしてなにより空間の大きさに過不足なく満ちる響き。僕はあれを聴いたことで、大指揮者と大編成オーケストラによるベートーヴェン演奏というのは時代が下る中でより多くの聴衆、より大きな空間の中で演奏することが求められていくうちに肥大化していった結果としての姿だったことを実感させられたのでした。当時はまだ古楽器によるベートーヴェン全集は出ておらず(単発ではコレギウム・アウレウムのものなどいくつか出ていましたが)現代楽器によるティルソン=トーマスのチクルスがぽつぽつ出ては響きの薄さを指摘されていたような時期でしたが、実演で聴く室内オケの響きは明晰でこそあれ決して薄さを感じさせることがありませんでした。

 あれから長い年月がたち、今では古楽器によるベートーヴェン演奏もたくさん出ている状況下で全集録音を世に問う延原/テレマンCOですが、少なくともこれは日本人演奏家による最も優れたベートーヴェン演奏の一つではないかと唸らせる出来なのが嬉しいところ。一口でいえば実に潔いベートーヴェンです。かつてと同じくテンポの速い機敏な演奏ですが、管や打楽器は前より強調されるようになり、要所で突き抜けた鋭さを聴かせてくれるようになりました。古楽器による響きも現代楽器の均質さとは感触の異なるものですが、楽器の組み合わせの変化による音色の変化はより多彩で、万華鏡を見る面白さにも似たものがあります。テンポを揺らしたり大きく歌いこんだりするロマン的な身振りは一切ありませんが、そんなものなどなくても音楽は実に雄弁。曲自体がちゃんと訴えるように書かれているといわんばかり。どこかバロック時代の合奏協奏曲に似た表現で、前の時代から受け継がれた表現手法がベートーヴェンの中にもかなり残っていたことを納得させられる演奏です。そして古い時代から受け継いだものが見えるからこそ、よくいわれるベートーヴェンの革新性なるものもよく見える。ロマン派様式から振り返ると実感されにくいものが鮮明に浮かび上がってくる。実にきっぱりとした音楽の進行の中、曲そのものが書かれたとおりの機能を最大限に作動させているような、そんな演奏です。

 ちなみに「第5番」のスケルツォの反復は古楽器の演奏が増えるに従って行われるケースが増えましたが、ここでも行われているのは嬉しいところ。演奏時期からすればブライトコップの新版を使った可能性もあるこの録音ですが、楽譜上でどういう扱いになっているのか不明ながら、僕は少なくともフィナーレを楽譜の指示通り反復する以上、スケルツォの反復は欠かせないと考えています。この点は先ごろ亡くなったスイートナーの全集録音にも採用されたギュルケ版の問題も含め、別の機会に少し整理したいと思いますが、このやたらと闘争的な音楽が理念の上で何と戦っているのかはともかく、音楽の構造からいえばフィナーレが直接戦っている相手はスケルツォに他ならないと思いますので。

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