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2009年06月21日06:47

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獣人第25話

「月下の獣人」第25話(MF〜MF)

 夜明けが近づいたことを察したワーラビットが長衣を身に着けた。稜線の彼方から投げかけられた曙光がその姿を再び青年へと変えた。倒れたままのワーウルフたちの姿も完全に人間のものと化していた。

「やはり笛の存在が白狼の及ぼす力を中和している。もう大丈夫だと思います。あとは夢が告げたとおり笛を与えてやればいい。それで白狼もこの地を離れることができるようになります」

 だがその言葉に、ホワイトクリフが異を唱えた。

「もう大丈夫といっても、なにかのことで笛をなくしたりしたらどうなる? またどこかでこんな騒ぎを引き起こすだけだろう。だったらいっそ、ここで始末するのが世のためではないのか? そもそもこいつは神の意に反して精霊が転生させたという話じゃないか!」

「それはひどくありませんこと? 窮地を救ってくれた恩人を手にかけるつもりですのっ」
「ここまできて人間の都合で話を変えないでください。それは神の意にもとります!」
「仮にもスノーフィールドの安全を預かる身。これほどの危険を放置できるか!」
 詰め寄るメアリとワーラビットにもひるまず剣の柄へ手を走らせるホワイトクリフに、馬車の上からセシリアが語りかけた。

「この狼は霊獣の魂と人間の魂を併せ持っています。そのせいで人と魔の境にある存在に様々な影響を及ぼすようです。おそらく狼の魂の支配力が強かったせいでワーウルフたちはこんな所まで引き寄せられたのだと思います。そして人間の魂を持つことや、集まったワーウルフたちの平衡を失った妖気などが絡みあって、死霊たちを活性化させたようです」

「つまりこの白狼の存在が、ワーウルフだけでなくあの死霊まで呼び起こしたことになるのか?」
 リチャードの言葉に、ホワイトクリフが剣を抜きかけた。
「そらみろ。やはりこいつは危険なんだ!」

「いいえ。私たちが救われたのはやはり彼のおかげなんです」
 青年騎士を制しながら、セシリアは続けた。

「たしかに彼がいなければ死霊たちがこんなに寄り集まることはなかったでしょう。でも、だからその方が安全だったとは私には思えません。たとえばらばらだったとしても、彼らはそれぞれが心弱い獲物に忍びより、時間をかけてその肉体を乗っとったことでしょう。私にそうしようとしたように。もしもあれが続いていたら、私は周りの誰も、自分でさえ気づかないまま体を奪われていたんです。そんなことが街のあちこちで人知れず起きたとすれば、それは人間にとって恐ろしいというだけでなく、神の秩序にとっても許されざる事態だったはずです。死者が運命を受け入れようとせず、生者と入れ替わってゆくんですから」

 唸るホワイトクリフに、セシリアは訴えた。

「けれど彼らは集まったせいで、一気に多くの肉体を奪う必要に迫られました。仮に魔法の笛に出会わなかったとしても、きっとなにか目立つことをして存在を気取られたことでしょう。それに彼の声が死霊たちを浄化に導いたのは動かしようのない事実ではありませんか」

「……死霊についてはそうかもしれん。だが、ワーウルフのことまで容認はできぬ。ただそこにいるだけでこれほど危険な怪物を呼び寄せるなど、およそ人の世に害毒を流すばかりではないか。やはりここはっ」
「な、なにをなさっておいでです? ホワイトクリフ卿!」

 再び剣を抜きかける青年騎士に、アーサーの驚いた声がかけられた。振り返ったホワイトクリフの目が、赤毛のリーダーの腕の中の傷だらけの少年を、そして後ろに立つエリックの抱えた女を捉えた。

「おお、なんという……。ワーウルフの犠牲者か?」
「いえ、彼らもワーウルフなんです」
「なんだと? では一人であんな化け物を二頭も倒したのか! 銀の剣一本で」
「いや、それが……」

 ワーウルフたちを地面に横たえたアーサーがホワイトクリフに事情を説明する横で、ワーラビットが彼らの傷を改めた。

「銀の刃の傷は一つだけ。あとは噛み傷ばかりですね。なんとか助かりそうですよ」
「銀の刃の傷だって? それじゃ俺が戦ったのは……」

 驚くリチャードの目の前でトミーとマーシャがおずおずと進み出ると、人間ならざる大女と少年の顔にそっと触れた。すると二人は薄く目を開いた。女が微笑んだ。よかったと少年がつぶやいた。その光景をリチャードは呆然と見やるばかりだった。

「たしかにワーウルフは人間とともに暮らせる種族とはいえないでしょう。でも、だからといって退治すればいいというものではないと思います。白狼の問題さえ解決すれば彼らは自分の土地に戻ります。そのあとはお互いの領域を侵さず生きていけばいい。存在まで否定するのは行きすぎだと思います」

「リチャード、おまえはどう思う?」

 アーサーの話を聞いたホワイトクリフが呼びかけたが、眼前の光景に心奪われているリチャードから返事は返ってこなかった。青年騎士は苦虫を噛みつぶしたような表情でその様子を見つめていたが、ため息をつくと剣の柄から手を離した。

「……いいだろう。正直なところ釈然としないが……」

 微笑んだセシリアが白銀の笛を静かに吹き始めた。雪原に昇る朝日に呼応するような、穏やかでありながら豊かな息吹を湛えた調べだった。すると白狼がセシリアの腰掛ける馬車に歩み寄り、荷台の横に座り込んでその笛の音に聴き入った。その姿は朝日を浴びて神々しいまでの白さに輝き、ビリーがああ、と感極まった声をあげた。

「なんだか生気が満ちてくらあ。こんなの聴いたのは初めてだ。お嬢ちゃんの笛を目の前で聴けるなんて、やっぱり白狼の運気は凄えよなあ」
「お調子者め」
 エリックが苦笑いしながら鍛冶師見習いをこづいた。

 やがて雪原に昏倒していた獣人たちが目覚めはじめた。誰もが夢からさめたような、憑き物が落ちたような表情を粗削りな顔に浮かべていたが、笛の調べが進むにつれ、その呆然とした表情はしだいに健やかな喜びの色に取って代わられていった。



 調べの余韻が輝きを増す雪原に溶け込んでゆくと、白狼が身を起こして荷台の上のセシリアを見上げた。セシリアは紐で首から下げていた白銀の笛をはずすと、白狼の太い首にゆわえつけた。すると魔法の笛は微かな光を放ったかと思うと、大地に染み入る雪解け水のように純白の霊獣の体に吸い込まれていった。

「笛をなくすことはなさそうでありますな」

 目を丸くしているホワイトクリフの横でアンソニーがつぶやくと、白狼はやおら身を起こすとセシリアを再び見つめた。少女がうなづくと白狼はぐるりと周囲を一瞥したが、やおら天を仰いで遠吠えをあげた。その声を染めていた哀しみの色は影をひそめ、聞く者を鼓舞せずにおかない力強さに満ちていた。そのとき獣人たちが声を上げた。

「鳥が飛んでいるぞ」
「ほんとだ。あんな高いところを」

 思わず天を見上げた人間たちだったが、彼らの目では鳥の姿を見ることはできなかった。すると雪を蹴立てる音がした。朝日に雪煙をきらめかせながら、白狼が駆け去っていくのだった。その姿はたちまち南の丘の彼方に消えた。

「ああ、鳥を追っていった」

 ワーラビットの青年が感慨深げにいうと、なおも釈然としない面持ちのホワイトクリフがつぶやいた。

「これでよかったんだろうか」
「ええ、きっと」

 答えるセシリアにロビンがおずおずと近づいた。足元に視線を落としたまま、薬師の少年は口ごもった。

「……姉ちゃんがセシリアに取り憑いていたなんて、僕……」
「いいえ、お姉さんは教えてくれたのよ、ロビン」
 セシリアは遮った。まっすぐロビンを見つめて。

「お姉さんに出会えなかったら、私は動かない脚への、自分の将来への絶望から抜け出せなかったかもしれない。でもお姉さんのあの激しい想いにふれたおかげで心から思えるの。脚が動かないくらいなんでもないって。私は生きていて、自分の生き方を決めることができるんだって。だから謝ったりしないで」

 顔を上げた少年は真っ赤な目をしていたけれど、嬉しそうな顔でうなづいた。そんな二人に目を向けながら、アーサーがそっとホワイトクリフに耳打ちした。

「やっぱりこれでよかったんですよ」

 口元をやわらげた青年騎士がささやき返した。

「そうだな。そう思うことにしよう」


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「それでは来週、あの二人も迎えにきます」

 ワーラビットの青年はそういうと、ワーウルフたちを先導して東の斜面を降りていった。遠ざかる彼らを見送りながら、重傷の女と少年を乗せた馬車を囲んだ一同も帰路についた。銀の傷さえ手当てができればあとの傷はすぐ治ると聞いたロビンが、二人の手当てを引き受けたのだった。

 街に戻った一行を一つの知らせが待っていた。諸国との会議を成功裏に終えたセシリアの父エドワードが数日後に到着するとの知らせだった。

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