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2009年05月13日23:31

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ドビュッシーあれこれ

先日装置の響きを調整してから手持ちのディスクをいろいろ聴き直していますが、久しぶりに安川加寿子のドビュッシーを聴きました。5年ほど前にビクターからCD化されたもので収録時期は70年代初め。日本人による初めてのドビュッシー全集だったと思います。LP時代にカタログで存在だけは知っていたものの、レギュラー盤で枚数も多かったため入手できずにいるうち廃盤になってしまったものの1つでした。

若き日にフランスに渡ったキャリアゆえか正統的な解釈と帯には記されているものの、聴いてみるとこれは現在普通に聴ける演奏とはかなり違います。ドビュッシー演奏として多く聴かれるのは安定したテンポの上にこの作曲家ならではの独創的な響きを入念に描いていく傾向のものですが、安川の演奏は単にテンポが速いのみならず非常に前進性を感じさせます。もちろんどの曲でもというわけではなく「夢」などでは動きを抑えて夢幻的な味わいを巧みに引き出してもいるのですが、「ベルガマスク組曲」などは冒頭の「前奏曲」一つとっても追い立てられるようにさえ思えるほどテンポが走る演奏です。結果として横の線の動きが強く印象に残るため、入手したときはドビュッシーというよりもラヴェルみたいな演奏という印象だったのですが、今回響きの安定性を増した装置で聴き直して感じられたのは横の線の動きの中に響きの変転との因果関係を見い出そうとする意図のようなものでした。NAXOSで以前出ていたクララ・ケルメンディのドビュッシーも響きというよりは透かし彫りのような輪郭の強い演奏でやはりラヴェルを想起させたものでしたが、それはむしろ響きが構造体として可視化されたような印象で、安川のような動的な前進性は感じられなかった点が大きく違います。

もしもこれが本当に若き日の渡仏経験に由来するのだとすれば、それは20世紀前半から中盤にかけてしばしばみられた前進性の強いスタイルのなごりが時を越え音盤に刻まれた例だったのかもしれません。そういえば、サンソン・フランソワが後の全集とは別にステレオ初期に録音していたドビュッシーアルバムも動感の強い演奏でした。ただし彼の場合はもっと普通のドラマチックな狙いに基づくテンポの動きと感じられたのでしたが、この機会に聴き直せばなにか見えてくるものもあるのかも。

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今回聞き直したディスクの中で特に感銘深かったのは、モニク・アースの素晴らしい全集録音でした。安川の全集にわずかに先行して収録されたこの名盤は、有名曲を抜粋したものが何度も廉価盤でも出ていますからご存じの方も多いと思いますが、とにかく録音が素晴らしい! 同時期のピアノ録音には蓋の中にマイクを突っ込んで採ったのかと思うようなものも多かったこの時期に、パリの教会で収録されたこの録音は長く尾を引く残響豊かな空間に紡ぎ出された幻妙な響きを如実に捉えきったもので、再生側が努力すればするほど報われる音盤の典型的なもの。装置の状態が悪いと芒洋とした印象になりかねませんが、たとえ安い機械でもきちんとバランスを整えていけば40年も昔の教会にいかにして音楽が立ち現れ、生成し、息づき、流転の果てに静寂へと沈んでゆくかがみえてくるのです。暗騒音領域まで収録されているのでペダルを踏む音もはっきりと聴き取れ、ピアノを弾く方なら演奏のテクニカルな面も把握できるのではないかと思われますが、昨夜聴いたときなどはそのペダル音に体重が乗っていて、とっくにこの世にいないピアニストの気配を感じてしまいちり毛だつ思いでした。単品コンポのクラスでは普及品でしかないわが家の装置でさえこうなのですから、本格的なオーディオをきちんと使いこなしている人であれば一体このディスクからどんな音を、そして音楽を引き出しているのか、想像を絶するものがあります。

正直これほどの優秀録音になると、演奏だけを切り出して上記のものと比較するのは難しいです。この録音であるがゆえに見えてくるものがあまりにも多くて、同じ土俵にそもそも立っていないとしか思えなくなってくるからです。上記3つの演奏はそれぞれ特徴的ですが、それは録音が取りこぼしているものがあるせいで過剰であったり不足であったりする要素が目立つ結果特徴として感じるのではないだろうか。たとえば安川の演奏のテンポの速さにしても、それが関連しているかもしれない響きの流転と密接に結び付いた状態で聞けたとしたら、テンポに必然性が感じられるようになるがゆえに自然なものとなり、それだけが目立つことはなくなる可能性があります。録音という鏡に歪みがあるせいで、その演奏の特徴が誇張されている可能性もあるのではとアース盤を聴くとつい思ってしまうのです。

けれど録音の限界の中で演奏の特徴を最大限に表現しようというのもレコード作りの姿勢として立派なものであり、制作サイドの演奏への理解が伴えばそこに説得力が生まれる余地はあります。音楽を繰り返し聴くことができる録音という仕掛けは聴くという行為をいくらか読書に近づけたと常々思っているのですが、そういう聴き方に耐えられるにはやはりディスクがきちんと作られたものであることが前提ではないか。なにを表現するのかが十分に把握され全ての要素が目的にそってコントロールされていれば、特徴の誇張が表現としてのデフォルメに相当することもあるかもしれない。上記3つの音盤は少なくともそのレベルには達していると思います。
とはいえアース盤こそはドビュッシーのピアノ曲を聴くにあたり必聴のディスクだと思います。演奏内容も含め1枚のディスクをていねいに繰り返し聴くことにこれほど応えてくれるものはそう多くはありません。末長く手元に置いてじっくり味わいつくしてほしい逸品です。

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