植物植えるときは土に穴開ければいいわけだしとか言って雨の中植木鉢に土詰めながらみんな愛してるよって叫ぶ夢を見た。夢はこれだけ。変だったのでちょっとだけ覚えているけど、住んだことない家で、周囲も知らない畑で、そこで棒立ちになりながら叫んでいた。
起きたら、またフィクションの中でどうたらこうたらと叩かれるやつが発生していた。これはおれがいつも言ってることだけど、フィクションはフィクション、その一言で終わらせるべき問題だよ。我々はフィクションの中では未成年飲酒もするし、交通違反もするし、殺人も犯すし、差別もする、フィクションの中に倫理を持ち込むな。フィクションの中にそうやって倫理を持ち込むからフィクションの中で黒人が使いづらくなるんだよ、フィクションの中で黒人が非倫理的な悪人だったり現実世界の倫理的・歴史的な基準に従ってなかったりすると怒るひとが出てきて話を変えられちゃうし、それがめんどくさいから出さない方がいいとなる。最近もなんかロアルド・ダールの作品が非倫理的だからと勝手に書き換えられたり、黒人の出てくるゲーム見て倫理的な人間がキレてたりしたけど、そういうひとたちは別にフィクションの殺人にいちいち文句つけて回ってるわけじゃないので本当に嫌。ロアルド・ダールの件でいえば、児童書だという前提付きとはいえ「太った」が禁止されるのは厳しいし、なぜ「巨大な」ならいいのかもよく分からん、そこは英語のニュアンスの問題もあるのかもしれないけど、納得しているひとの意見を見ても英語のニュアンスの問題とは思えない。誰もが筒井康隆みたいに表現の問題に関して突っぱねられるわけじゃないというのがツラいが、それでもフィクションはフィクションだ。
植え替えのこと考え過ぎて植物植える夢を見てるの面白いけど、今日は出かけないので正しくその植え替えをやることにした。ミューレンベッキアの植え替えだな。この過程は別のところにも書いた気がするが、木炭を用意して、ミューレンベッキアを剪定して、一旦メネデール溶液に漬けて、木炭を処理して、植えるという工程だった。植え替えそのものよりも木炭の処理に時間がかかってしまったよ。なぜならハイドロ用の木炭(に限らないかもしれないが)はそのまま水に投入すると黒い粉が出てくるので、まずそれを落とさなければならない、パッケージにもそう書いてある。ところがザルのようなもので洗うと細かい木炭も一緒に流れ落ちたりする。これを防いで、指に張り付いた木炭を落として、汚れた水を処理して、粉が取れなくて、どうしよう、コーヒーの紙フィルターを使うか。でコーヒーの紙フィルターに入れたらうまくいって、木炭で濾過されたきれいな水が出てきたので笑ったけど、紙フィルターはすぐに目詰まりしてしまった。ここが盲点で、結局黒い粉を濾し取るのにも時間がかかった。このように四苦八苦していたら、木炭をきれいにするだけで一時間ぐらい使ってしまったというわけ。今度からはもっと決然とやろうと思った。
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