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2018年07月06日06:58

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中後(その2)

平成30年GW前半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
5番目(最後)の目標 中後(なかご)は、
高柳町中心部から27km、県道78号大潟高柳線の舗装が途切れたあたりにある。
県道よりも少し高い場所に農作業の方(Nさん、70代ぐらいの男性)の姿が見られたので、
ご挨拶に伺った。
私が「ここは“ちゅうご”ですよね」と尋ねると、
Nさんは「いいや“なかご”だ」と答えられた。
「廃村千選」では10年以上中後を“ちゅうご”としていたが、
“なかご”が正しいことが判明した。

門出小学校中後分校は、へき地等級3級、児童数8名(S.34)、明治35年開校、昭和46年閉校。
Nさんは「神社は集落跡よりも少し高い場所にあって、その手前に分校があった」と話された。
また、「磯之辺までの県道の工事は止まっているが、載っている地図があるので、時々折り返される旅人がいる」とのこと。

「地理院地図」Webの地形図に神社マークがあったので、これを目印に心当たりの斜面をあがっていくと、
「神社跡ではないか」と思える石造りの遺構が見つかった。
その手前にはまとまった平地があり「分校跡では」と思ったが、
二万五千図(石黒、S.43)の文マークと空中写真を比べると、分校跡は枯れススキの道がヘアピン状に曲がっている付近にあるような感じがした。
中後の家屋は、未成県道(ダート)のそばに多くあったようだった。

柏崎市近辺の廃村探索は、5か所となって中後で終了。
少し時間があったので、1�匱蠢阿僚戸� 板畑(戸数7戸(H.29))で
「分校跡が見つからないかな」とクルマを停めて心当たりを歩いたところ、
門柱と二階建ての校舎を見つけることができた。
石黒小学校板畑分校はへき地等級3級、児童数46名(S.34)、昭和60年閉校。
中後からも簡単に歩けそうな距離だが、別々に分校があったのは、
昭和の大合併前は別の自治体(高柳村と石黒村)だったからなのだろうか。

 画像1 中後・倒れた枯れススキを踏みながら集落跡を探索する(分校跡付近) 

 画像2 小山の上に、神社跡かと思われる遺構が見られた

 画像3 中後の1�匱蠢亜�多数のクルマが停まる板畑の分校跡

  (2018年4月29日(日)午後3時40分〜4時25分頃)
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