2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索、
最後の目的地 戦後開拓集落 平等(へいとう)は、平成25年秋(4年前)BAJAで上越を訪ねたとき、時間が足らないことから訪問をあきらめた経緯がある。
牧区中心部から入った県道(301号柳島信濃坂線)は、宇津俣を過ぎると頼りない道幅になって、平等橋から先はダートになった。
この県道の牧区−安塚区の区境は未開通らしい。
「少し先に平等集落跡がある」とアタリをつけた小道の分岐点にクルマを停めて、小道を10分ほど歩くと、そこにはかなりの広さの棚田が広がっていた。
今回、訪ねた多くの廃村で耕された水田を目にして、
新潟の農家の方の農地に対する愛情の強さが垣間見えた。
画像1:橋の銘板が「平等」という地名を伝えている
画像2:平等集落跡には、かなりの広さの棚田が広がっていた
画像3:棚田に交じる林(画像左手)が家屋の跡ではないかと想像する
(平成29年7月31日(月)午後3時30分〜3時50分頃)
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