平成17年から20年にかけて、私は長野県内21か所の学校があった廃村を訪ねたが、
離村記念碑を8か所で見かけている。
これに対して、分校記念碑は10か所(看板、木柱を含む)で見かけている。
廃村に建つ分校記念碑は、「離村関連記念碑」と捉えることができる。
両方あった3か所を勘案すると、
8+10−3=15か所に離村関連記念碑が建っていることになる(71%)。
平成27年、秋田県の廃村調査で見かけた離村記念関連碑(分校記念碑を含む)は
66か所中18か所(27%)。
選定条件はやや異なるが、ふたつを比べると、
秋田県の離村記念関連碑は、長野県よりも少ないと言える。
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廃村に建つ分校記念碑の例として、中川村四徳(しとく)の碑を紹介します。
四徳は、伊那谷三六災害(昭和36年6月の集中豪雨による広域災害)で
壊滅的な被害を受け、昭和37年、全戸(84戸)が集団移転。
四徳にあった中川東小学校四徳分校はへき地等級1級,児童数71名(S.34),
明治6年開校、昭和38年閉校です。
画像1: 四徳学校跡の案内板
道沿いに学校の沿革が記された案内板が建っていた(平成11年建立)。
画像2: 四徳学校跡の碑(その1)
碑のそばの広い平地の中には石と土が盛られており、
その上に大きな碑が建っていた。
画像3: 四徳学校跡の碑(その2)
盛り土の上に建つ碑の表面には「心のふるさと 四徳学校跡」と刻まれた
(昭和46年建立)。
(2007年5月13日(日)正午頃)
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