平成31年4月中旬、山口県の廃村探索、
滑から3つ目(この日最後)の目標 高瀬までの距離は40�匸�しある。
かめさんは国道よりも県道レベルの道をつないで走るのが好きとのことで、好みの相性がよい。「生雲って難読だけど、奈良の生駒の要領と思ったら覚えやすいですね」とか話しながら、長門峡あたりを走り抜けた。
高瀬は、阿武川ダム(昭和49年竣工、総貯水容量1億5350万立方m)の建設に伴い昭和45年に離村した。
高瀬を含め計206戸が移転したが、ダム建設は比較的順調に進んだという。
ダム湖(阿武湖)には長門峡方向(上流部)から近づいたこともあり、県道の交通量はほとんどどなかった。
高瀬小学校(のち川上小学校高瀬分校)は、へき地等級無級、児童数176名(S.34)、明治6年開校、昭和46年閉校。
かめさんのホームページから「学校に関係する望郷の碑がある」という情報を得ていたが、どこにあるのかはっきりしなかった。
県道から碑に向かう枝道は、トンネルを挟んで前後に2か所ある。
クルマを軽自動車一台に絞り、トンネルをくぐった先の頼りない枝道を進んだ。
枝道には所々に石が転がっており、「ほんとにこの道でよいのかなあ」と少し心配になる。
やがてたどり着いた駐車場には、「望郷半島」というタイトルの案内板が建っていた。
案内板によると、近くの湖に藤蔵という集落が水没しているという。
案内板からさらに先に進むと、やがて児童の卒業制作像と並んだ望郷の碑にたどり着くことができた。
古い地形図と見比べると、碑の近くの湖に学校跡が水没していることがわかった。
画像1:阿武湖畔・「望郷半島」の案内板
画像2:高瀬・学校跡水没地のそばに「望郷の碑」が建つ
画像3:望郷の碑の裏山から阿武湖を眺める
(2019年4月13日(土)午後2時45分〜3時15分頃)
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