平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、
最初に訪ねた旧玉川町龍岡木地(りゅうおかきじ)は、戸数3戸(H.28)の高度過疎集落で、松山から今治、さらに島伝いに広島県尾道市へと続くR.317沿いにある。
今は交通量の多い国道だが、平成8年に水ヶ峠トンネルが開通するまでは松山市米野から龍岡木地まで車道はなかった。
水ヶ峠トンネルを越えてすぐ左手、頼りない枝道を進むと、古くて味がある建物が見当たった。
龍岡小学校木地分校は、へき地等級2級、児童数36名(S.34)、昭和27年開校、昭和44年閉校。
クルマから降りて確認すると、建物は往時の校舎で、クルマを停めた敷地が校庭だった。
校舎の縁には重機が置かれていて、校庭も雑然としていたが、紅葉と並んで分校跡地の碑が建っていた。
龍岡木地の探索は、「地理院地図」Web地形図の卍マーク(木地観音堂)に注目して行った。
クルマが停まる家屋もあるが、明らかに無住という家屋がたくさんあるのには驚いた。
観音堂は山縁にあって、見晴らしはよいが日影になっていた、お堂の前には六地蔵が並んでいた。
地形図には鳥居マークはなく、神社を見つけることはできなかったが、石造りの常夜灯や幟を立てるための石柱が見られたので、どこかにあることなのだろう。
分校跡に戻って校舎を裏側から見ると、見事にツタに覆われていた。
50分ほどの探索の間、冒頭に分校跡で出会った方(Rさん、70代ぐらいの男性)だけだった。
Rさんには狭い敷地の中でクルマを切り返すのに苦労しているときに出会い、手助けをしていただいた。
画像1:龍岡木地・分校跡校舎の縁に重機が並ぶ
画像2:校庭の隅に,紅葉と並んで分校跡地の碑が建つ
画像3:十一面観音像を本尊とする木地観音堂
(2018年11月3日(土祝)午前10時30分〜11時20分頃)
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