平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
滝谷入口に戻り、R.488匹見川沿いを先に進み、旧匹見町澄川からは県道54号線(益田澄川線)に入って走る。
この県道はまさしく「険道」で、「対向車が来たらどうなるんだろう」というほど道幅は狭い。
おきのくにさんによると、県道は明治期に馬車道として作られ、長らく益田市街と匹見を結ぶ主要道だったとのこと。
狭い県道を走ること6�辧∧�岐する西長沢(にしながさわ)までの枝道は、おきのくにカー、ハマちゃんカーの2台で向かった。
おきのくにさんが「竹が倒れていて通れないかも」と心配していた枝道だが、
クルマが通れるよう整えられており、分岐から600mほどで分校跡目印のお地蔵さんに出会った。
真砂小学校西長沢分校は、へき地等級1級、児童数11名(S.34)、明治20年開校、昭和45年閉校。
お地蔵さん正面の橋が分校跡への入口で、分校跡は草に埋もれた階段を上がった先にある。
西長沢の集落は散在しており、分校跡と離れた場所に神社があるのはわかっていたが、訪問はあきらめた。
「廃村千選」では、西長沢の離村時期を複数の住宅地図の比較から平成25年頃としているが、分校跡の様子を見るともう少し早いかもしれない。
分校跡の探索では、瓦のガレキにまじって材木が載った建物基礎の石垣が見当たった。
おきのくにさんは「この形の建物基礎は大正期よりも前のもので、昭和期になってコンクリ製の基礎が普及した」と話された。
なお、西長沢学校跡の標高(361m)は、今回訪ねた廃校廃村中で最も高い。
画像1:西長沢・分校跡入口に架かる橋
画像2:分校跡・材木が載った建物基礎の石垣
(2018年4月8日(日)午後1時20分〜1時45分頃)
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