2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索、
清津峡トンネル付近でR.353から枝道に入り、橋を渡って見通しのよい舗装道を進むと、やがて牧畑入口の三差路に到着した。
さらなる枝道はコンクリの舗装があったが、急に上がる坂道だったので、その先はクルマを停めて歩いて向かった。
10分弱歩くと視界が広がり水田が見えて、牧畑集落跡に到着した。
水田のほか、作業小屋、神社跡の祠、「念三夜塔」と刻まれた石碑、家屋跡のタイル張りの風呂釜などが見られた。
倉俣小学校牧畑冬季分校は、へき地等級1級、児童数15名(S.34)、明治41年開校、昭和47年閉校。
作業小屋に地域の方(Mさん、50代ぐらいの男性)の姿があったので、ご挨拶してお話を伺うと、
「冬季分校は神社の並びにあって、先生は我が家に泊まっていたものだ」と話された。
越後田沢局 郵便区全図(S.51.10)には「牧畑 5戸」とあるが、Mさんに確認したところ「昭和47年には集団移転していた」とのこと。
地形図と同じく、郵便区全図も万能とはいえないようだ。
水田についてMさんは「いま通うのは私だけで、我が家が自給自足する分だけ作っている」と話されていた。
画像1:牧畑・神社跡と「念三夜塔」と刻まれた石碑
画像2:家屋跡のタイル張りの風呂釜
画像3:「1戸の家が自給自足する分だけの広さ」の水田
(平成29年7月31日(月)午後12時30分〜12時50分頃)
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