2017年7月30日(日)、新潟県の廃村探索で訪ねた、
上越市旧大島村の廃村 嶺の離村記念碑(嶺閉村之碑)の文面を
理由あって起こすことになった。
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嶺閉村之碑
大東亜戦後の経済成長は農山村の過疎をすゝめ、その波は我等が故郷にも及び遂に止まることなく昭和五十六年六月嶺部落は四百有余年の歴史を閉じた。いま我等はここに閉村の碑を建て、あらためて集落の歴史を偲び父祖の辛苦を思う、あゝわれらが故郷ここにありき。
昭和六十一年八月十五日
大島村大字嶺百八名の有志建之
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従来「廃村千選」では、嶺の離村時期は「昭和末頃」としており、
「昭和56年6月」と明記されているのは、ありがたかった。
あと、末尾が「建立」ではなく「建之」なのが気になった。
これまで、両方「こんりゅう」と読んで、同じものとして見ていた。
調べたところ、「これをたてる」という漢文調の読み方がしっくりしたので、
以後、読み方を区別しようと思った。
画像1:嶺閉村之碑(表面)
お墓と並んで建っているので
単品で撮ろうと思ったら、こんな角度になった。
画像2:嶺閉村之碑(裏面)
碑のそばには雑草はなく、ユリの花が咲いている。
手入れをする方がいるからなのだろう。
画像3:嶺閉村之碑(裏面拡大)
なぜか「嶺百八名」の「嶺」の字の刻みが薄い感じがする。
画数が多いからなのだろうか。
(平成29年7月30日(日)午後5時頃)
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