平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、
川上「懐古の碑」からは、県道を下り、次のポイント滝下を目指しました。
滝下小学校(のち東和小学校)は、へき地等級3級、児童数93名(S.34)、明治41年開校、昭和38年改称、昭和43年閉校。
訪ねた時点は、滝下小学校は単純に東和小学校と名祢変更したものと思っており、
五万地形図(達布、1960)の「滝下」という地名のそばの文マークを目指していました。
学校跡地は、おびらしべ湖にかかる中記念別橋のやや東側。
「橋から跡地を見ることができたらよし」
という気持ちでいると、田中さんから
「2kmほど上流に、もうひとつ文マークがあるでしょう。
ここは東和中学校で、滝下小学校は名称変更時にここに移転したんですよ」
という話をうかがってしまいました。
そう、私は単純に五万地形図(達布、1960)の「2kmほど上流のもうひとつ文マーク」に
気が付いていなかったのでした。
東和中学校は、へき地等級3級、生徒数42名(S.34)、昭和25年開校、昭和43年閉校。
滝下と川上の子供達が通う中学校だったのでしょう。
さらに、成瀬さんから送っていただいた新聞記事などから、
滝下に興味深い歴史があることがわかりました。
◎昭和38年、滝下小学校が小平蘂川上流部、中学校所在地に移転して
東和小中学校成立
◎昭和39年、東和小学校から5km上流部(十五線の沢沿い)に
新日本炭業福久鉱が本格操業開始
◎昭和42年、福久鉱閉山
◎昭和43年、東和小中学校閉校
東和小中学校跡のそばにかかる照曜橋(おそらく廃橋)は、
クルマの窓から見えていました。
「学舎の風景」Webには、東和小中学校の記事があり、そこは何もない更地のようです。
http://haikouinspect.web.fc2.com/obira-towa.html
滝下小学校跡を見た後、
「道を戻って、チェックはておくべきかなあ・・・」
と、いくぶん迷ったのですが、
「歩古丹が待っている!」とばかり、
戻り道はせず、先を急ぎました。
字滝下(達布の東隣、小平ダムの手前)の規模は、5戸11名(H.26)。
このため、これまで滝下は、高度過疎集落として扱っていましたが、
「距離的にも切り分けたほうがよい」と判断し、
「滝下東和」という名称で、炭鉱関係の廃村と取り扱うことになりました。
この「東和」は、どこから来た名前なのでしょうか。
和寒の「東和」は、「和寒市街の東側」と見ると腑に落ちるのですが・・・
いずれにしても、訪ねたことで、注目度が一気に高まりました。
画像1:中記念別橋から見下ろした滝下小学校跡
五万地形図の文マークは、川の流れの右側、
道と林用軌道に挟まれるような形で記されています。
画像2:中記念別橋から見下ろしたおびらしべ湖
川の名前は小平蘂川、ダム名は小平ダム、
ダム湖名はおびらしべ湖です。
湖の中に小島があるのが印象的です。
(2015年5月29日(金)午後2時15分頃)
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