長野県中川村の廃村 四徳(しとく)に建つ
「心のふるさと 四徳学校跡」と刻まれた分校記念碑(離村記念関連碑)、
碑に刻まれた誌文をみて、いま一度振り返ってみたい。
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誌
明治六年九月一日第二十三区一小区四徳三楽学校として
開校し昭和三十六年六月未曾有の梅雨前線集中豪雨の
災害を受け部落全住民集団移住により閉校するまで
約一世紀の間四徳住民を育てた教学の場所である学校跡に
碑を建てこれを記念する
昭和四十九年五月二日
四徳学校同窓会建立
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道沿いには「四徳学校跡の案内板」があり(平成11年建立)、
こちらのほうが読みやすい。
しかし、「集落の存在を後世に伝える」にあたって、
重要な役割を果たすのは、案内板ではなく碑であろう。
四徳の離村は昭和37年(54年前)。碑の建立は昭和49年(42年前)。
たとえば、二十二世紀になったとき、碑は建っているだろうか。
そしてそのような存在になっているのだろうか。
画像1: 四徳学校跡の碑(その1)
これほどスケールの大きい学校跡の碑を
私は知らない。
画像2: 四徳学校跡の碑(その2)
誌文はこんな感じで刻まれている。
(2007年5月13日(日)正午頃)
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