平成27年6月1日(月)、秋田県の廃校廃村への旅、
最初に立ち寄ったのは、上小阿仁村萩形(はぎなり)です。
文政5年、阿仁町萱草・根子から11戸が移転し、開かれたという萩形集落では、戦前まではマタギを生業とする狩猟文化が盛んでした。
萩形集落跡の手前1kmには村営 萩形キャンプ場があり、
少なくてもここまでは舗装道が続くと予想していました。
しかし、萩形ダム堤体から3kmで道はダートとなり、
さらに2km走ると土砂崩れ現場に出くわしました。
しかたがないので、その先はクルマを停めて熊鈴をつけて歩いて行くことになりました。やがてたどり着いた広々としたキャンプ場に人の姿は皆無でした。
五万地形図(阿仁合、S.44)を見ると、往時はここに森林軌道の終点があった様子です。
萩形には、昭和44年まで営林署の事務所が設置され、昭和38年まで森林軌道が通じていました。
歩き続けると左手にスギ林が広がり始め、右手に墓地跡に建てたという昭和52年建立の供養塔が見当たり、集落跡に近づいてきた感が深まりました。
地域の方が建てたと思われる山小屋風の小屋を横目に見ながらさらに先へと進むと、大きな「離村記念碑」にたどり着きました。
村の中心部 小沢田「道の駅 上小阿仁」から萩形までは29km、
歩きが2kmあったこともあり、1時間40分かかりました。
離村記念碑の右隣にはブロック造りの神社の祠があって、そばには平成元年建立の「萩形部落跡」、少し手前には「萩形分校跡」の石柱が建っていました。
石柱の裏面には「村制百周年記念 上小阿仁村」と刻まれており、後に折渡、屋布で見かけた部落跡の碑と同じ形です。
沖田面小学校萩形分校は、へき地等級5級、児童数31名(S.34)、明治33年開校、昭和44年閉校。
最盛期(S.36)の萩形には38戸の暮らしがありました。しかし、同じ年、県営萩形ダム建設が着工されました。
このとき、住民は一丸になって集団移転の要望を続けたが、行政に取り上げてもらえず、昭和39年、17戸が集団移転しました(10戸水没、7戸関連)。
萩形ダムは昭和41年に竣工したが、戸数の半減が集落に与えた影響は大きく、昭和40年から43年の間に9戸が個人移転しました。
そして昭和44年、県による集落再編成事業の適用を受けて12戸が集団移転し、萩形は廃村となりました。
萩形の集落跡、耕地跡のほとんどはスギ林となっていたが、開けた平地があって、私は一瞬「耕地があるのか」と思いました。
そこにはおそらく家屋跡があって、季節の青い花が咲いていました。気候が快適なこともあって、ひととき桃源郷にたどり着いたようでした。
画像1:萩形の離村記念碑
昭和44年5月12日建立、
秋田県知事 小畑勇二郎と刻まれています。
画像2:萩形部落跡の標柱
そぐそばに、萩形分校跡の標柱もあります。
画像3:萩形集落跡の開けた平地
集落跡は、スギ林が9、開けた平地が1ぐらいの割合でした。
(2015年6月1日(月)午前10時45分頃)
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