何が言いたいかと言うと、英会話の題材に「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」を選んだところ、先生が開口一番“worstは、stupidではない”と発言したからです。原題は「Marley & Me」ですが、劇中でマーリーという犬に対して“worst dog(最悪の犬)”と言ってるのに、邦題が“おバカな(stupid)”になっている。
いちおう、笑いを誘うという意図があったということでしょう。この映画の中でマーリー君は、“clearance puppy(セールわんこ)”と呼ばれていて、そっちのほうが面白いのになと僕は思う。というか、「Marley & Me」という題名に対して、だらだら説明する邦題って、いやですね。ただこの映画の場合、原作小説に合わせたという事情があるか。
こういう“説明的邦題”がこのところ増えている気がします。たとえば「私たちは、ちょうどいい。」なんかがその好例。原題は「Bob Trevino Likes It」で、SNSで“イイネを付ける(like)”がポイントなのですが、「ボブ・トレヴィノがイイネした」という題名にするわけにはいかなかったのでしょう。
この作品では、ファザコン娘が父親と同姓同名の異人とSNSで知り合い、そのボブが“イイネ”をくれた、という意味なのですが、「Bob Trevino Likes It」だけでSNSのイイネだと分からせるのは難しい。しかしながら「私たちは、ちょうどいい。」などと、わざわざ句読点を題名に用いるという“悪どさ”、僕は嫌いだな。全然、“ちょうどよく”ない。
かつてメジャー系の配給会社では、原題から大きく離れた邦題を嫌うという傾向がありました。逆に、インデペンデントの配給会社が付ける邦題は、日本国内の事情に合わせていて、題名だけで客を呼ぶという部分がありました。←「みじかくも美しく燃え」(1967)なんか、イヤラシイくらいの邦題です(笑)。原題は人名「エルビラ・マディガン」のみ。
あるいは主人公たちがカップル・ギャングだったからと、「ボニーとクライド」を「俺たちに明日はない」として公開したところ、本社からクレームが入って“ボニーとクライド”というサブ・タイトルを途中からポスターに刷り込ませた場合もありました。あの会社は、“宣伝費をいくら掛けてもいいからヒットさせろ”と命じ、出来なかった日本支社長が左遷させられたっけ。
そうは言っても、固有名詞だけの原題で、日本人に内容をどうやって分からせるかという部分があります。アメリカでは有名な固有名詞でも、日本では誰も知らんわけですし。そんな社内事情は、テキトーにはぐらかして邦題を付けてなさい。かつてCICという配給会社の女性支社長は、必ずと行っていいほど日本語題名を付けてました。「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994)みたいにね。
とまあ、いろいろ不満は尽きませんが、「サウンド・オブ・ミュージック」が「音楽の響き」という題名じゃダメだったろうし、「ウエスト・サイド物語」を「ニューヨーク愚連隊」としたら、非難轟々だったでしょうね。やはり堂々と「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)にしておけばいいのです。
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