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2026年08月16日03:12

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1950年という時代のサラリーマン生活が、僕には“正しく”伝わりませんでした。鈴木英夫監督「蜘蛛の街」(1950)。

例によって“蔵出し名画座”として放送された、実にレアな映画です。まず、1950年(つまり終戦から5年)という時代に、鉄筋コンクリート造4階建ての集合住宅が舞台なのです。僕が日本住宅公団の団地に入居したのが1966年。台風が来るたびに雨漏りや家の軋みに怯え(特に第二室戸台風が最悪でした)、安普請の戸建てから逃れた喜びは忘れられません。

その奈良市学園前の中登美ヶ丘団地の5階建て公団住宅とは隔世の感がある、コンクリート打ちっぱなしの団地に、不況で会社を首になった父親(宇野重吉)が、その事実を妻(中北千枝子)に告げることが出来ず、サンドイッチマンになって日銭を稼ぐ、という滑り出しなのでした。上の階に住む若夫婦たちはレコードに合わせて踊っていると言うのに!

この暮らしぶりのギクシャクさが、来年4月で80歳になる僕にさえ“実感できない”のです。これには驚きました。父親は子供から“ハーモニカ、買ってくれた?”とせがまれるけど、情けなく笑ってごまかすしかない。妻も、そんな夫の窮状にまったく気づかないという設定には、僕はどうしてもついていけませんでした。

調べてみたらこの団地、どうやら新宿区にあった“戸山ハイツ”がモデルらしい。Wikiには、“1948年に入居申し込み受付が開始[4]。募集約1,000戸に対して34,999件の申し込みがあり、倍率は約35倍の狭き門となった”とあります。そんな“高嶺の花”の団地に入れたのに、プライドのため失業を妻に話せないってどうよ、と思ってしまいました。

さらにサンドイッチマンをしているという事実を知った妻が、“職業に貴賎はないと言うけれど…”と口を濁すあたりには“紋切り型”という言葉だとしか言いようがない。4階建ての建物は、それなりにリアルなので驚きますが、美術担当が木村威夫とクレジットされているから、のちの鈴木清順との仕事を思い浮かべてしまいました。

さらに音楽が伊福部昭で、「ゴジラ」っぽい(笑)。まさに“蔵出し”そのものという、強烈な“時代感覚のズレ”なのでした。この映画の公開が1950年6月3日で、同年6月25日には朝鮮戦争が起こります。その“特需”で日本経済は息を吹き返すのでした。そんな端境期に作られたこの映画は、奇妙な現実感で時代を記録してしまったと言うことでしょう。

さらに、ギャングの手先として使われた父親が、一大決心して警察にすべてを話そうとするとき、“みんなの力を借りよう!”と言うのでした。当時流行した“民主主義”を描いたつもりなのかも。しかし同居する住人たちは、せいぜい野次馬にしか描かれません。脚本は高岩肇。僕にとっては山本薩夫監督の「忍びの者」の脚本家です。

1962年に「忍びの者」を見た僕は、山本薩夫という監督があの革新政党の旗頭だったことを知らず、単に忍術映画を楽しみました。そして高岩肇という脚本家には、増村保造監督の「夫が見た」がある。そんな“一流どこ”が雁首を揃えて、この映画ですか?と言いたくなったしだいです。

てなわけで、僕は幸いにも自分が3歳だったころの“苦境”を記憶していません。しかし2週間に一度の父親との映画館通いは、徒歩で映画館へ往復しただけでも二人で100〜150円は消えていたのですね。テレビを買えない両親たちの無念さが、今になって変な形で僕の心に突き刺さるのでした。僕の女房は、息子にファミコンを買ってやってたな(笑)。

ということは“バブル景気”を体感していない若者たちは、どんな雰囲気で今の日本の経済事情を眺めてるんでしょうか。空き瓶に水を入れて吊るした“木琴”で情操教育を図るという核家族。それはそれで、ひとつの社会的事実の記録なのでしょうね。サイナラ、サイナラ、サイナラ…。
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