平成28年6月27日(月)、岐阜県・岩屋ダム建設関連の廃村めぐり、
卯野原神社からは、か細いダム湖右岸の道を進み、細越橋で県道86号線に戻り、
上流部の弓掛(ゆがけ)を目指した。
ダム湖が川に戻ったあたりで迎えてくれたのは「飛騨金山の森・押洞地区」という案内板だった。
少し先まで走ると、一目で「分校跡ではないか」と思った「憩いの家 もみじ」が見当たった。
東第二小学校(のち東第一小学校)弓掛分校は、へき地等級2級、児童数64名、明治6年開校、昭和47年閉校。
五万図を見ると押洞(おしぼら)は弓掛地内の小集落名で、文マークは中平(なかひら)に記されている。
場所的に見ても今残る「憩いの家 もみじ」の建物は、往時の校舎を改装したものに違いなさそうだ。
そして分校跡の平地の一角には、世帯主54名の名前が刻まれた「故郷の碑 弓掛区」という離村記念碑が建っていた。
画像1 「飛騨金山の森・押洞地区」という案内板
画像2 一目で「分校跡ではないか」と思った弓掛分校跡
画像3 離村記念碑「故郷の碑 弓掛区」(昭和47年建立)
(2016年 6月27日(月)午後1時頃)
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